日本大百科全書(ニッポニカ) 「出雲系神話」の意味・わかりやすい解説
出雲系神話
いずもけいしんわ
記紀神話のなかで出雲を舞台として語られている神話。この神話は、高天原(たかまがはら)での乱行によって素戔嗚尊(すさのおのみこと)が根国(ねのくに)へと追放される部分に続いている。まず素戔嗚尊の八岐大蛇(やまたのおろち)退治の話があり、続いて主人公が袋かつぎという微賤(びせん)な存在から、兄たちや根国の主者の素戔嗚尊からさまざまな試練を受けてついにこれを乗り越え、妻の須勢理毘売(すせりひめ)と宝器を手に入れ、素戔嗚尊から命ぜられて葦原中国(あしはらのなかつくに)の支配者になるという大国主命(おおくにぬしのみこと)成立譚(たん)が展開する。さらにこの大国主命に対して、高天原から国譲りの使者が幾度か派遣され、最後に大国主命がこれを承諾して、出雲の多芸志(たぎし)の小浜に祀(まつ)られるという話に終わっている。
記紀神話の一部分としてのあり方は、高天原から追われて根国の主者となった素戔嗚尊に命ぜられて葦原中国の支配者となった大国主命が、高天原の要求によってその支配権を天照大神(あまてらすおおみかみ)の御子に譲る、というのであるから、天皇支配の基盤を語るという記紀神話においては副次的な意味しかもたない。『日本書紀』本文が大国主命成立譚を欠いているのは、このことを明瞭(めいりょう)に語っている。確かに国譲りをすべき神があり、国譲りが行われればことは済むのであるが、国譲りをするはずの葦原中国の支配者が、具体的かつ強大な存在であればあるほど、高天原に対する対立者の具体的印象は高まり、相応してこの対立者に国譲りをさせた高天原の権力、同時に皇祖の存在の尊厳の具体的印象も高まるわけである。『古事記』の大国主命成立譚が豊かに語られるのは、この目的達成のためと考えられる。いうならば出雲系神話は、記紀神話において副次的な意味をもつにすぎない一部分なのであるが、実は天皇支配の基盤を語る記紀神話全体の目的を、具体的、実質的に支えている神話という重要な側面をもっているのである。事実、出雲系神話の内容はこの重要な要請に十分こたえている。
大国主命成立譚で語られる兎(うさぎ)と鮫(さめ)の話は、民間に伝承した動物譚が原核であり、兄たちの試練や素戔嗚尊に蛇や蜂(はち)の室(むろ)に入れられて野火に焼かれる話は、成人式や呪術師(じゅじゅつし)団体への加入式などと関連し、民間の習俗や儀式と触れ合う多くの面をもつと説かれている。この神話の主人公それ自身も、次々の困難に耐え、呪力を高めて成長していく過程で、人間的な生き生きとした親近感をわれわれに与える。それは、この神が高天原の神の多くとは異なり、共同体の信仰の基盤のうえに形成されたからであろう。
大蛇神話も、全体の構想のなかでは漢の斬蛇剣(ざんだけん)的神剣の出現と奉献という政治神話としての役割を担っている。しかし根源は、出雲の豊饒(ほうじょう)祭としての蛇(へび)祭りであり、それが新しい鉄文化の波をかぶって変化したもので、生活と儀式とともに生きてきた神話の豊かさが、神剣出現の具体的な説得力を高めているのである。
出雲系神話の舞台は出雲であるが、登場する神の基盤は多くの地域にわたっている。事代主神(ことしろぬしのかみ)は託宣を管掌した神人の神格化であり、その影は大和(やまと)に濃く、建御名方神(たけみなかたのかみ)も三輪(みわ)氏が祀った諏訪(すわ)湖の新しい神である。これらの神々は、観念的な多くの高天原の神々よりもより古い文化層に息づいていた神々であり、さらに信奉する社会集団をもち、生活と習俗に密着して生き続けてきた国津神(くにつかみ)たちであったことを共通の性格としてもっていた。出雲系神話は各地の国津神たちの神話であり、その全貌(ぜんぼう)は、素戔嗚尊の系譜およびこれに続く大国主命系譜、大年神(おおとしがみ)系譜によってほぼ概観することができる。
出雲系神話の世界が高天原と対立した世界でありながら、実際には記紀神話の根幹である高天原神話の政治的主張の具体的な支えとなり、またそれ自身政治神話として結集されながら、なお古代神話への興味を抱かせ続けるのも、それが各地の国津神たちの世界を原郷とするものであったからである。
[吉井 巖]