20世紀日本人名事典 「前田駒次」の解説
前田 駒次
マエダ コマジ
- 生年
- 安政5年1月14日(1858年)
- 没年
- 昭和20(1945)年2月20日
- 出生地
- 土佐国長岡郡下関村(高知県本山町)
- 旧姓(旧名)
- 志和
- 経歴
- 明治12年前田家の婿養子となり、のち家督を相続。自由民権運動に加わり、20年に上京して武市安哉らと三大事件建白運動を推進するが、保安条例によって東京からの退去を命ぜられ帰郷。23年故郷本山村の助役となる。26年キリスト教に入信、自宅を教会に提供して基督教団高須講義所を設立した。同年7月武市らとともに北海道浦臼に入植し、聖園農場が出来ると武市を補佐してその経営を助けた。武市の死後はその中心人物として農事・教育・布教・入植者の受け入れと多方面に活躍。28年北光社の要請でクンネップ原野(現・北海道北見市)調査に携わる。30年開拓指導者として同地に移住、北光社農場で農業試験に従事するとともに、農会書記として開拓地をよく取りまとめ、鉄道敷設運動にも参加。37年北光社支配人・同農場長。40年北海道議に選ばれ、以後7期を務めその間に副議長・議長を歴任した。また大正4年には野付牛村長を兼任。開拓者・政治家としてクンネップ原野の開拓と北見の発展に尽くした功績は大きく、「北見開拓の父」と呼ばれる。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報