デジタル大辞泉
「前畑秀子」の意味・読み・例文・類語
まえはた‐ひでこ〔まへはた‐〕【前畑秀子】
[1914~1995]水泳選手。和歌山の生まれ。本姓、兵藤。昭和11年(1936)ベルリンオリンピックの女子200メートル平泳ぎで優勝。日本の女子選手で初めて、オリンピックの金メダルを獲得した。
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前畑 秀子
マエハタ ヒデコ
昭和期の水泳選手
- 生年
- 大正3(1914)年5月20日
- 没年
- 平成7(1995)年2月24日
- 出生地
- 和歌山県橋本町(現・橋本市)
- 本名
- 兵藤 秀子(ヒョウドウ ヒデコ)
- 学歴〔年〕
- 椙山女学園専門部卒
- 主な受賞名〔年〕
- エイボン女性年度賞(スポーツ賞)〔昭和54年〕,五輪功労章銀章〔昭和56年〕,千嘉代子賞〔昭和59年〕,勲三等瑞宝章〔昭和62年〕,朝日体育賞(昭63年度)〔昭和64年〕,IOCトロフィー〔平成2年〕,文化功労者〔平成2年〕
- 経歴
- 小学校3年から水泳を始め、4年で50メートル平泳ぎ小学生新、6年で50、100、200平泳ぎの小学生新を記録。父母を亡くした後は故椙山正弌の後援を受け、昭和4年汎太平洋女子オリンピック大会(ハワイ)100メートル平泳ぎで優勝。7年ロサンゼルス五輪200メートル平泳ぎで2位。11年ベルリン五輪200メートル平泳ぎに世界新記録3分3秒6で金メダルを獲得。12年結婚。引退後も水泳ひと筋で、各地のスイミングスクールで指導にあたるほか、全国的に講演を続け、56年日本女性として初の五輪功労章銀章を受ける。58年に脳出血で倒れたが、水泳で鍛えた基礎体力と並はずれたリハビリの努力により、奇跡的に回復をなした。米国の水泳殿堂入りも果たす。著書に「前畑ガンバレ」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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前畑秀子
まえはたひでこ
(1914―1995)
オリンピックで優勝した水泳選手。和歌山県橋本町生まれ。1932年(昭和7)のオリンピック・ロサンゼルス大会200メートル平泳ぎでデニス(オーストラリア)に敗れて2位。選手になって初めての敗戦で、4年後のオリンピック・ベルリン大会まで毎日2万メートルを泳いで雪辱を期し、大会では強敵ゲネンゲル(ドイツ)と息詰まる接戦を演じたが、1ストローク差で優勝。実況中継したNHKの河西(かさい)アナウンサーが「前畑がんばれ」と声援した話は有名である。結婚して兵藤(ひょうどう)姓となる。83年(昭和58)4月水泳教室で指導中脳出血で倒れたが、1年余の闘病生活を終えて社会復帰した。1981年オリンピック功労賞(銀賞)を日本女性として初めて受賞した。
[石井恒男]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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前畑秀子 (まえはたひでこ)
生没年:1914-95(大正3-平成7)
女子水泳選手。和歌山県出身。椙山女学園卒業。在学中から平泳選手として日本の第一人者となり,第10回ロサンゼルス・オリンピック大会(1932)に出場,200m平泳で僅差の2位となり,世界的に知られた。雪辱を期した第11回ベルリン・オリンピック大会(1936)の女子200m平泳で,ドイツの14歳の選手M.ゲネガーと大熱戦を演じ,日本最初の女子金メダリストとなった。このときNHKの河西三省アナウンサーが〈前畑がんばれ〉と連呼した実況放送は有名。1937年に結婚し兵藤姓となる。その後第一線を退き母校および幼少年の水泳指導にあたった。
執筆者:広畑 成志
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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前畑秀子
まえはたひでこ
[生]1914.5.20. 和歌山,橋本
[没]1995.2.24. 岐阜,岐阜
水泳選手。椙山女子専門学校卒業。 1932年ロサンゼルス・オリンピック競技大会に参加,女子 200m平泳ぎで2位に入賞。 1936年ベルリン・オリンピック競技大会では同種目に優勝し,日本女性で初の金メダルを獲得した。 1937年結婚してからは兵藤姓。第2次世界大戦後は幼少年の水泳普及に尽力。 1964年紫綬褒章受章。 1981年日本女子で初めてアメリカの水泳殿堂入りを果たし,さらに国際オリンピック委員会 IOCよりオリンピック・オーダー銀章を受けた。 1990年文化功労者に選定。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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前畑秀子 まえはた-ひでこ
1914-1995 昭和時代の女子水泳選手,指導者。
大正3年5月20日生まれ。昭和7年ロス五輪200m平泳ぎで銀メダル。11年ベルリン五輪の同種目で日本女性初の金メダル。「前畑がんばれ」のラジオ実況放送が全国をわかせた。結婚後,ママさん水泳教室などで指導。平成2年文化功労者。平成7年2月24日死去。80歳。和歌山県出身。椙山女学園卒。本名は兵藤秀子。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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前畑 秀子 (まえはた ひでこ)
生年月日:1914年5月20日
昭和時代の水泳選手;指導者
1995年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の前畑秀子の言及
【水泳】より
…幾多の改正を経て,手足の動作はすべて水中で左右同時に対称的に行い,つねに頭の一部が水面上に出ていなければならないという現行ルールが誕生した。日本では1928年のアムステルダム大会の200mで[鶴田義行]が2分48秒8で日本水泳選手として初めて優勝して以来,小池礼三,葉室鉄夫ら名選手が続き,女子選手でも[前畑秀子]がベルリン大会で日本女子選手の金メダル第1号になった。56年のメルボルン大会では潜水泳法を駆使した古川勝,吉村昌弘が金,銀メダルを獲得したが,大会後,潜水泳法は禁止された。…
※「前畑秀子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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