昭和期の水泳選手
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オリンピックで優勝した水泳選手。和歌山県橋本町生まれ。1932年(昭和7)のオリンピック・ロサンゼルス大会200メートル平泳ぎでデニス(オーストラリア)に敗れて2位。選手になって初めての敗戦で、4年後のオリンピック・ベルリン大会まで毎日2万メートルを泳いで雪辱を期し、大会では強敵ゲネンゲル(ドイツ)と息詰まる接戦を演じたが、1ストローク差で優勝。実況中継したNHKの河西(かさい)アナウンサーが「前畑がんばれ」と声援した話は有名である。結婚して兵藤(ひょうどう)姓となる。83年(昭和58)4月水泳教室で指導中脳出血で倒れたが、1年余の闘病生活を終えて社会復帰した。1981年オリンピック功労賞(銀賞)を日本女性として初めて受賞した。
[石井恒男]
女子水泳選手。和歌山県出身。椙山女学園卒業。在学中から平泳選手として日本の第一人者となり,第10回ロサンゼルス・オリンピック大会(1932)に出場,200m平泳で僅差の2位となり,世界的に知られた。雪辱を期した第11回ベルリン・オリンピック大会(1936)の女子200m平泳で,ドイツの14歳の選手M.ゲネガーと大熱戦を演じ,日本最初の女子金メダリストとなった。このときNHKの河西三省アナウンサーが〈前畑がんばれ〉と連呼した実況放送は有名。1937年に結婚し兵藤姓となる。その後第一線を退き母校および幼少年の水泳指導にあたった。
執筆者:広畑 成志
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…幾多の改正を経て,手足の動作はすべて水中で左右同時に対称的に行い,つねに頭の一部が水面上に出ていなければならないという現行ルールが誕生した。日本では1928年のアムステルダム大会の200mで鶴田義行が2分48秒8で日本水泳選手として初めて優勝して以来,小池礼三,葉室鉄夫ら名選手が続き,女子選手でも前畑秀子がベルリン大会で日本女子選手の金メダル第1号になった。56年のメルボルン大会では潜水泳法を駆使した古川勝,吉村昌弘が金,銀メダルを獲得したが,大会後,潜水泳法は禁止された。…
※「前畑秀子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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