勝木保次(読み)カツキ ヤスジ

20世紀日本人名事典 「勝木保次」の解説

勝木 保次
カツキ ヤスジ

昭和・平成期の生理学者,聴覚生理学者 東京医科歯科大学名誉教授;国立生理学研究所名誉教授。



生年
明治38(1905)年11月28日

没年
平成6(1994)年3月6日

出生地
石川県小松市龍助町

学歴〔年〕
東京帝国大学医学部〔昭和6年〕卒

学位〔年〕
医学博士

主な受賞名〔年〕
朝日文化賞〔昭和37年〕,日本学士院賞〔昭和38年〕,文化勲章〔昭和48年〕,勲一等瑞宝章〔昭和54年〕,スウェーデン北極星賞〔昭和54年〕,小松市名誉市民〔昭和63年〕

経歴
代々、漢方薬など雑貨を扱う名字帯刀の大店で父が医者、兄弟4人もみな医博。昭和24年東京医科歯科大学教授となる。45年に退官、鶴見大学教授を経て、49〜52年東京医科歯科大学長を務めた。この間38年「聴覚機構の研究」により学士院賞、48年文化勲章。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「勝木保次」の意味・わかりやすい解説

勝木保次
かつきやすじ

[生]1905.11.28. 石川
[没]1994.3.6. 神奈川県
生理学者。 1931年東京大学医学部卒業卒業後,耳鼻咽喉科から感覚生理学に転向,第2次世界大戦中,軍医として従軍。 1949年東京医科歯科大学教授,1950年に戦後初の文部省留学生として渡米,帰国後にネコ,サルを使った聴覚機構の研究を進めた。内耳から入った音が電気信号として大脳皮質で情報処理され,聴覚として統合・感知される道筋を世界にさきがけて解明したほか,音の強弱高低の感知は間脳が司り,音色は大脳皮質が識別することなどを明らかにして,従来の定説を覆した。また,魚類の側線器の研究から聴覚器と味覚器が進化上同根であることを示した初期の業績も重要。 1970年鶴見大学教授,1974~77年東京医科歯科大学学長,1977~79年生物科学総合研究機構 (現・国立岡崎共同研究機構) 機構長を歴任。 1962年朝日文化賞,1963年学士院賞を受賞,1973年文化勲章を受章

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「勝木保次」の解説

勝木保次 かつき-やすじ

1905-1994 昭和-平成時代の生理学者。
明治38年11月28日生まれ。昭和24年東京医歯大教授となり,49年学長。電気生理学的方法で脳の聴覚機構を研究し,38年学士院賞。48年文化勲章。平成6年3月6日死去。88歳。石川県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「勝木保次」の解説

勝木 保次 (かつき やすじ)

生年月日:1905年11月28日
昭和時代;平成時代の生理学者。東京医科歯科大学教授;国立生理学研究所教授
1994年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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