日本大百科全書(ニッポニカ) 「化学機械工業」の意味・わかりやすい解説
化学機械工業
かがくきかいこうぎょう
化学工業、石油精製業、ゴム工業、紙パルプ工業、薬品工業などいわゆる「装置産業」において、化学的処理のために用いられる機械装置を中心に、その前後の工程で物理的処理のために用いられる機械装置と機器を製造する工業。経済産業省の機械統計では、圧搾機器、濾過(ろか)機器、分離機器、集塵(しゅうじん)機器、熱交換器、混合機、攪拌(かくはん)機、粉砕機、反応用機器、蒸煮(じょうしゃ)機器、化学工業用炉、塔槽機器、貯蔵槽、電解槽、乾燥機器、焙焼(ばいしょう)機、焼結機、焼成機器などをその対象としている。これらの機械装置は多くの場合単体では機能せず、つねにプラント全体との関連で設計製作されるため、ほとんどが受注生産である。設計面では、個々の条件を満たすための多大の研究努力を要するものの、製作面では技術的には比較的容易で、特殊な設備も不要なため、これまでは中小企業メーカーがその担い手であったが、最近では、個々の機械やプラントの大型化・精密化が進行しているため、大手の産業機械メーカー、造船メーカー、鉄鋼メーカーなどの進出が目だっている。
[殿村晋一]
生成・発展
化学機械工業の生成・発展は、化学工業の展開と密接な関連をもっている。日本の化学工業は明治初期からセメント、硫黄(いおう)、火薬などを中心に官営工業としてスタートするが、この段階では、各種の技術の導入はもとより、化学機械の設計から設置、さらにその技術指導に至るまで、全面的な外国依存を余儀なくされた。こうした化学機械の欧米への依存体制は全体として第二次世界大戦期まで続いた。このため、わが国の化学機械工業は、まず輸入機械の修理とか更新の際の模倣生産から出発し、第一次世界大戦期のドイツ・イギリスからの硫安、ソーダ、染料などの輸入途絶に伴う国内生産の展開が、輸入機械の模倣による国産化を盛んにした。とくに、1930年代には、窒素工業の発展に伴い、化学機械専業メーカーの創設が相次ぎ、化学肥料、薬品、油脂などの製造プラントの自主開発、粉砕機、濾過機、分離機、乾燥機など多種にわたる単一機械の製作も可能となり、国産技術の開発も進展し、42年(昭和17)には、化学機械工業は、工場数567、従業者数2万7898人、生産額2億3000万円を数えるに至った。
[殿村晋一]
急成長期
第二次世界大戦後、化学機械工業は急成長の時代を迎える。食糧増産を目的に化学肥料工業の復興が推進され、ついで合成染料、有機合成工業、ソーダ工業、ガラス工業などの設備投資が活発になり、1950年(昭和25)以降、石油化学工業、セメント、紙パルプ、鉄鋼などでの設備拡充=近代化が進み、これに促されて、化学機械工業も急成長した。広義の化学機械(一般化学機械、タンク、紙パルプ機械、合成樹脂加工機、冷凍機)の生産額は、55年の98億円から、石油化学工業育成第一期計画末年(1959)の400億円、第二期計画末年(1964)の2708億円へと、10年間に27倍もの成長を遂げ、この間輸出も55年の4億4000万円から65年には185億円へと急増した。単体機器からプロセスに至る広範囲の海外からの技術導入(71年までに500件を超え、1産業部門では最高件数)がこの急成長を可能にした要因の一つであるが、会社合併による技術の蓄積とか、ノウハウのみを導入し製作は国内で行うなど、技術の摂取に努めた結果、遠心分離機器、濾過機器、大容量貯蔵槽など相当数の単体機器では国際水準に達し、輸出競争力を確保するところに到達した。
問題はプラント製造技術の領域であった。1950年代、石油精製業や合成繊維工業に始まった意欲的な技術導入は、後半から石油化学工業にも及び、60年代には、国内でも三井化学のポリエチレン製造の連続操業技術ほか独自技術の開発も実現するなど、化学機械工業界でもようやくプラント・エンジニアリングへの進出が本格化した。戦前からの日本揮発油、三菱(みつびし)化工機に加えて、当初からエンジニアリングを目的として設立された千代田化工建設(1948)、化学製品メーカーのエンジニアリング部門が独立した東洋エンジニアリングと住友ケミカルエンジニアリング、機械メーカーから分離した日立プラント建設などが、60年代後半からの石油化学工業を中心とする国内装置産業部門における大型設備投資と、70年代に入って開発途上国の工業化政策を反映した大型プラント輸出の進展によって脚光を浴びることとなった。53年インドネシア向けのカ性ソーダプラント、58年東パキスタン向け肥料プラントなどに始まった化学機械プラントの輸出は、70年代に急増し、オイル・ショック後には、中近東への石油精製、石油化学装置の輸出が進展し、76年には全プラント輸出の34%を化学機械プラントが占めるようになった。
[殿村晋一]
現状
最近の化学機械の生産は、世界不況と円高による輸出の伸び悩みを反映して低迷を続けているが、現在では、塔槽類では一部ヨーロッパ諸国に劣る分野があるものの、単体機器、エンジニアリング部門とも相当な国際競争力を備え、1980年には、生産の過半が輸出に振り向けられるようになっている。輸出先はアジアが70%近くを占め、ついでヨーロッパ、アフリカの順である。需要部門のウェートは、石油精製・石油化学で20%以上、窯業・金属精錬業がこれに次いでいる。公害防止・環境保全装置の比率もしだいに増加し19.7%を占めた。業界の体質は80年代に入ってもあまり変化せず、80年には従業員30人以上の事業所が296、従業者数4万4047人、90%以上が単体機器を生産する中小企業で、これに総合力をもつ大手企業とエンジニアリング企業が加わっている。業界の過当競争的体質はなお強く存続している。
1980年代後半に実施された構造改善策と日本経済の立ち直りにより、化学工業は回復基調を取り戻し、90年(平成2)前後には過去最高の収益を記録し、設備投資も活発に行われた。92年のバブル経済崩壊は素材型化学工業に打撃を与え、加工型(医薬品、農薬、化粧品、塗料、プラスチック加工など)の比重が増加した。加工型の生産装置は素材型より小規模であり、設備投資額も相対的に小さい。したがって、化学機械工業に与える影響も限定的である。しかし、加工型化学工業は先端技術と結び付いて将来性の高い分野である。化学機械工業のハイテク化・高付加価値化の確率もきわめて高いのである。なお、96年度のプラント施設受注件数27万429件に占める化学プラントの比率は6.2%で、このうちアジア向けが好調な推移をみせたことが注目される。
[殿村晋一]