翻訳|Londonderry
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
北アイルランド第2の都市。単にデリーDerryとも呼ばれる。フォイル川河口に位置し,人口10万6889(2004)。アイルランドの守護聖人コルンバ(アイルランド名コルムキル)が546年にこの地に修道院を建立したことをたたえて,10世紀ころからデリー・コルムキルと呼ばれていた。しかし,イギリス支配期の1613年,ジェームズ1世がロンドン商人の組合にこの地への植民を許したことから,ロンドンデリーと呼ばれるようになった。名誉革命の際,1689年,プロテスタント系住民がイギリスを追われたジェームズ2世軍の包囲攻撃に105日間耐え,劇的な勝利を収めたことで名高い。現在も毎年8月12日にこれを記念したパレードが行われる。1968年10月,公民権を要求するカトリック系住民のデモ行進が警官隊と衝突,以後北アイルランド紛争の焦点の一つとなった。さらに72年1月30日には,北アイルランド公民権協会が組織したデモ行進をイギリス落下傘部隊が阻止して発砲,13人の死者を出す〈血の日曜日事件〉が起こった。この事件を契機にイギリスは北アイルランドの直接統治にのりだした。産業には,シャツ類の製造とベーコンの生産があげられるが,農産物の積出港としても重要。なお,《ダニー・ボーイ》の名で知られる歌は,アイルランド民謡《ロンドンデリー・エア》のメロディに基づく。
執筆者:上野 格
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イギリス、北アイルランド北部の都市。1633年以前はデリーDerryとよばれ、1984年ふたたび旧称に復した。ベルファストに次ぐ北アイルランド第二の港湾・工業都市で、人口10万5066(2001)。フォイル川の河口近くに位置する。農村家内工業の伝統を引く綿紡績や醸造、食品などの産業のほか、第二次世界大戦期の海軍基地設置による港湾機能拡充の結果、石油化学工業や造船業も発達した。1610年イギリスの植民会社ロンドン・カンパニーが創設され、アイルランド植民地経営の拠点とされた。プロテスタント、カトリック両派の宗教的対立が激しく、イギリス支配に対するアイルランド住民の反発が絡んで両派の衝突が社会問題となっている。城郭都市で、旧市街は城壁に囲まれる。17世紀のセント・コロンバ教会がある。
[米田 巌]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新