治安維持法違反者のうち,当局が〈非転向〉または〈転向不十分〉とみなした者を刑期満了後も拘禁する制度。1941年3月,朝鮮で朝鮮思想犯予防拘禁令が施行され,ついで同一規定を含む新治安維持法が帝国議会で可決され,同年5月施行された。これよりさき,政府は三・一五事件関係者などの刑期満了・出獄に対処するため,1934年の治安維持法改正案で予防拘禁制の導入を試みたが実現しなかった。予防拘禁制は,治安維持法違反の受刑者中,政治的・思想的信念を変えずに(〈非転向〉で)出獄する者を,〈再犯〉のおそれありとして拘禁しつづける制度であるが,41年法では刑期満了でまさに釈放されようとする者のみならず,いったん釈放され思想犯保護観察法の対象となった者でも,〈転向不十分〉とみれば拘禁しうるとした。拘禁は検事の請求にもとづき裁判所が略式で決定し,期間をいちおう2年としたが更新も可能であり,本人の政治的信念が不変の場合,終身拘禁される見込みであった。41年9月河田賢治が最初の拘禁者となり,以後徳田球一,志賀義雄などが拘禁された。国内の予防拘禁所は東京の豊多摩刑務所内におかれ(のち府中刑務所へ移転),多いときは60~70名を収容した。この制度は,国家権力が特定の思想の抱懐を犯罪とみなし,しかも国家の手によるその思想の〈転向〉が可能かつ正義であるという前提に立つ,極端な思想弾圧制度であった。戦後GHQの指令で廃止され,拘禁されていた政治犯は釈放された。
執筆者:広川 禎秀
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治安維持法違反により刑を受け、非転向のまま刑期を満了して出獄した者の「再犯」を防止するために、その者を拘禁し続ける制度。1934年(昭和9)の治安維持法改正案で初めて登場したが、このときは反対が強くて流産し、41年の同法改正において実現した。同法によると、予防拘禁の請求は、対象となった者の現在地の地方裁判所検事が同裁判所に請求(40条)し、裁判所が決定する(44条)。決定を受けた者は予防拘禁所に収容され、転向を強要する処置がとられた(53条)。期間はいちおう2年とされたが、転向しない場合は何度でも更新された(55条)。この制度により非転向の共産党員らは刑期満了後も敗戦に至るまで獄につながれ続けた。この制度は、敗戦後の1945年(昭和20)10月、GHQの指令「政治的、市民的及宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」によって、その根拠となる治安維持法、予防拘禁手続令、同処遇会などの廃止が命ぜられたことにより、崩壊した。
[渡辺 治]
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第2次大戦中に治安維持法違反による受刑者,刑の執行終了者および保護観察中の者のうち再犯の恐れのある人物を拘禁する制度。思想犯保護観察法とは相互補完の関係にある。司法省は1934年(昭和9)から本制度の導入を提案していたが,41年の治安維持法改正により採用された。裁判所は検事の請求にもとづき2年を上限として拘禁を決定するが,更新は無制限に可能だった。45年GHQの指令により廃止。
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