ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アイルランド史」の意味・わかりやすい解説
アイルランド史
アイルランドし
12世紀後半,イングランド王ヘンリー2世はアイルランド征服に乗り出し,各部族を服属させて宗主権を握った。以後イングランド人が多数来島,イングランドの制度や封建制度が導入され,農民の農奴化が進んだ。アイルランドの有力貴族はこれに反発,抗争が続いたが,近代に入って,イングランド王ヘンリー8世は島の再征服に着手,みずからアイルランド王を称し,以後 17世紀なかばのオリバー・クロムウェルの時代までに,イングランドの支配と搾取はいっそう強化され,1801年の合同法によって,正式に併合されることになった(→アイルランド合同)。
アイルランド人の反抗運動は,19世紀に入って当時の国民主義運動の高まりのなかで,しばしば大規模な暴動にまで発展,これと平行してアイルランド固有の文芸を復興しようとの運動がウィリアム・バトラー・イェーツ,バーナード・ショーらを中心に起こされた。この運動のなかから「シン・フェーン(われわれ自身だけで)」との合言葉のもとにアイルランド独立運動が起こり,第1次世界大戦後の 1922年北部のアルスター地方を除いて自治が認められ,アイルランド自由国が成立した。しかしその自治にはなお多くの点で制限があったため,完全な独立を目指す運動はしばしば流血を伴いつつ継続,1937年完全な独立共和国であることが認められ,国名もアイレ(エール)と改称された。さらに第2次世界大戦後の 1949年,国名は再びアイルランド共和国と改められ,イギリス連邦をも離脱して今日にいたっている。
イギリス内にとどまった北アイルランドでは,内部にカトリック系住民(アイルランド人)とプロテスタント系住民との深刻な対立をかかえている。カトリック系住民は公民権上の差別撤廃と南北アイルランドの統合を求めて,しばしば流血の反乱,暴動を引き起こしたが,1993年12月アイルランドのアルバート・レイノルズ首相とイギリスのジョン・メージャー首相が共同和平宣言を発表した(→北アイルランド紛争)。
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