北の丸(読み)キタノマル

日本歴史地名大系 「北の丸」の解説

北の丸
きたのまる

久保田城の北、その北には堀を隔てて別曲輪がある。宝暦九年の御城下絵図には「北之丸東西九拾八間」「南北百弐拾間」とある。その西の急崖に偏した中央に土塁に囲われた曲輪があり、正保出羽国秋田郡久保田城画図では三の丸としている。寛永八年(一六三一)八月に三の丸築造を申請し、工事に着手した。同年九月二八日江戸着の書状に「三ノ丸二ノ段御普請所東之方先達被仰遣候如く、宝鏡院山之間堀口弐拾間ニ為堀候得、宝鏡院之山ハ過半御堀に成候由被申越候」とあり、その開削する堀は「北之丸下堀長折廻シ弐百弐拾間、幅弐拾八間ヨリ九間マデ不同」(宝暦九年の御城下絵図)に符合する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北の丸」の意味・わかりやすい解説

北の丸
きたのまる

東京都千代田区北部,皇居の北側,内堀に囲まれた区域江戸城内郭の一部であったが,明治以後,軍用地となり,近衛師団司令部や歩兵連隊などがおかれた。田安門頂点として千鳥ヶ淵,牛ヶ淵,清水堀に囲まれた三角形をしている。 1969年,都市計画事業として建設され,北の丸公園 (国民公園) として開放された。面積約 19万m2。日本武道館,科学技術館,東京国立近代美術館国立公文書館などがある。

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