日本大百科全書(ニッポニカ) 「北井一夫」の意味・わかりやすい解説
北井一夫
きたいかずお
(1944― )
写真家。中国・鞍山(あんざん/アンシャン)市に生まれる。第二次世界大戦後日本に引き揚げ、東京の谷中、深川で育つ。1963年(昭和38)、日本大学芸術学部入学、翌64年秋から写真を撮り始め、横須賀で11・7原潜闘争(横須賀米軍基地への原子力潜水艦の寄港に対する反対運動)を撮影、65年写真集『抵抗』にまとめる。同年大学中退。その後少しずつ学園闘争の写真を撮りつづける。庶民の生活をウジェーヌ・アッジェのように撮りたいと考え、69年1月、当時空港反対運動が盛り上がりをみせていた三里塚に入り、2年半にわたって住みついて写真を撮りつづけ、71年暮写真集『三里塚』出版。なんでもない農民の日常生活のさまざまな側面を撮りかさね、記録していくその写真は、それまでのドキュメンタリー写真にあった、対象を図式におさめてルポルタージュしようとする、状況の絵解きとしての写真とは一線を画した、個の誠実な視点だけが照らし出すことのできるドキュメントとして高い評価を受け、72年日本写真協会新人賞を受賞。また、三里塚を見た眼で日本を歩いてみたいと考え、『朝日ジャーナル』誌、『アサヒグラフ』誌などに連載をつづけながら独特の旅の写真のスタイルをつくりあげる。これらは後年写真集『いつか見た風景』(1990)としてまとめられる。
74年より『アサヒカメラ』誌上で「村へ」を連載。それまでの作品より、より対象に比重を置いた存在感の重さのある写真群は、高度成長の中で崩壊していこうとする村の、ごく普通の生活をさまざまな側面からとらえている。連載は4年の長きにわたり(76年からは「そして村へ」と改題)、76年には同作品で木村伊兵衛写真賞を受賞し、同年同タイトルの写真集も出版される。
「村へ」連載終了後の79年、まだ漁村の面影を残していた千葉県浦安を撮った『境川の人々』、81年、大阪通天閣界隈(かいわい)の人々を撮った『新世界物語』などの写真集を発表。その後80年代バブル期に入り「白っぽくて軽くなった」人々の暮らしをどうとらえていくかでしばらく模索期間がつづくが、84年ころから住まいのある船橋市の人々の写真を撮りつづけていくなかで再び手ごたえをつかみ、87年信州の四季を綴(つづ)った佳品『信濃遊行』、89年(平成1)『フナバシストーリー』と写真集を発表していく。
89年からは『月刊社会党』で、身近な小さな生き物たちの姿を追った「新鳥獣戯画」を連載(~95)、94年写真集『おてんき』にまとめられる。95年からは『朝日新聞』で「鳥虫戯画」として連載する。これらの写真では、北井の写真が当初からもっていた、何かのための写真でなく、写真そのものであろうとする姿勢がのびのびとした形で発揮されている。
96年からは生まれた地である中国を何度も訪ね、北京(ペキン)の写真を撮りつづけ、1997、2000、2002年に展覧会「北京」(イル・テンポ、東京)を開催。
また2000年には、三里塚の写真を、撮影したすべてのコマから新しい眼で選び直し編集した『三里塚』、2001年には同じように『村へ』を新しい眼で作り直した『1970年代NIPPON』を刊行、旺盛な活動を続けている。
[大田通貴]
『『抵抗』(1965・未来社)』▽『『三里塚』(1971・のら社)』▽『『村へ』(1976・朝日新聞社)』▽『『境川の人々』(1979・浦安市役所広報課)』▽『『新世界物語』(1981・長征社)』▽『『信濃遊行』(1987・ぎょうせい)』▽『『フナバシストーリー』(1989・六興出版)』▽『『いつか見た風景』(1990・蒼穹舎)』▽『『おてんき』(1994・宝島社)』▽『『三里塚』(2000・ワイズ出版)』▽『『1970年代NIPPON』(2001・冬青社)』