千葉県中部、下総(しもうさ)台地上にある成田市の南東部にあたる一地区。江戸時代、幕府直轄の野馬の放牧地である佐倉七牧の一つ取香牧(とっこうまき)が置かれていた。1875年(明治8)に牧羊のための下総牧場が開かれ、1885年には皇室の御料牧場となって、その後競走馬の生産地として著名であった。一帯では厳しい自然と闘いながらラッカセイ、野菜類など畑作農業が行われ、その努力が実りつつあっただけに、新東京国際空港(現、成田国際空港)用地に決定されるや地元農民を中心に空港反対同盟が結成され、激しい運動が展開された。御料牧場は新空港建設に伴って1969年(昭和44)栃木県塩谷(しおや)郡高根沢町へ移されたが、その跡地は三里塚御料牧場記念館となっており、付近はサクラの名所でもある。
[山村順次]
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…1897年成田鉄道(現,JR成田線)が,1926年には京成電鉄が開通し,参詣客が多くなったが,近年は東関東自動車道が通じるなど自動車交通が発達したため日帰り客がほとんどとなった。市域の南東部は古くからの放牧地で佐倉牧と呼ばれ,明治に入って下総御料牧場(三里塚牧場。1969年栃木県高根沢町に移転)が開設された。…
…映画での〈ドキュメンタリー〉という呼称は,そもそもアメリカの記録映画作家ロバート・フラハティがサモア島の住民の日常生活を記録した映画《モアナ》(1926)について,イギリスの記録映画作家であり理論家であるジョン・グリアソンJohn Grierson(1898‐1972)が,1926年2月の《ニューヨーク・サン》紙上で論評したときに初めて使ったことばで,それまでは〈紀行映画travel film(travelogue)〉を指すことばだったフランス語のdocumentaireに由来している。広義には,劇映画に対して,〈事実〉を記録する〈ノンフィクション映画〉の総称で,ニュース映画,科学映画,学校教材用映画,社会教育映画,美術映画,テレビの特別報道番組,あるいはPR映画,観光映画なども含めてこの名で呼ばれるが,本来は(すなわちグリアソンの定義に基づけば),〈人間の発見と生活の調査,記録,そしてその肯定〉を目ざしたフラハティから,〈映画は生きものの仕事〉であり〈事実や人間との出会い〉であるという姿勢を貫いてカメラを対象のなかに〈同居〉させた《水俣》シリーズ(1971‐76)の土本典昭(つちもとのりあき)(1928‐ )や《三里塚》シリーズ(1968‐73)の小川紳介(1935‐92)らにつらなる方法と作品,すなわち〈実写〉とは異なる〈現実の創造的劇化〉が真の〈ドキュメンタリー〉である。
[ドキュメンタリーの父]
映画の歴史は〈実写〉から始まり,1895‐96年ころから撮られ始めたニュース映画とは別に,1890年代の末期にはアメリカ,フランスその他の国で短編の実写映画がつくられ,1900年代に入ってアフリカの旅行記録やアルプスの登山記録もつくられた。…
※「三里塚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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