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北原武夫 キタハラタケオ

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デジタル大辞泉の解説

きたはら‐たけお〔‐たけを〕【北原武夫】

[1907~1973]小説家。神奈川の生まれ。宇野千代と結婚、スタイル社を創業するが、のちに離婚。著書に小説「」「桜ホテル」「情人(じょうにん)」、評論「告白的女性論」など。

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百科事典マイペディアの解説

北原武夫【きたはらたけお】

小説家。神奈川県小田原市生れ。新潟高校中退後,慶応大学予科をへて同大国文科卒。都新聞入社。1939年宇野千代と結婚(1964年離婚)。その前年《妻》によって文壇に登場。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

北原武夫 きたはら-たけお

1907-1973 昭和時代の小説家,評論家。
明治40年2月28日生まれ。昭和13年の「妻」で注目される。宇野千代と結婚し,ともにスタイル社を創業,戦後は女性雑誌「スタイル」の復刊につくす。39年離婚。「別離」「情人」などの心理小説が好評を博した。昭和48年9月29日死去。66歳。神奈川県出身。慶大卒。作品はほかに「マタイ伝」,エッセイに「告白的女性論」など。

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大辞林 第三版の解説

きたはらたけお【北原武夫】

1907~1973) 小説家。神奈川県生まれ。慶大卒。素朴な私小説に反発し心理的観念小説を書く。宇野千代との離婚を扱った「痛手」「告白的女性論」などの女性評論でユニークな位置を占める。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北原武夫
きたはらたけお
(1907―1973)

小説家。小田原市生まれ。慶応義塾大学国文科卒業。1933年(昭和8)坂口安吾(あんご)らと同人雑誌『桜』を創刊。また『詩と詩論』などに評論を発表した。この間アラン、ジッドなどのフランス・モラリスムの思想家たちに傾倒。38年新心理主義風の『妻』を書いて芥川(あくたがわ)賞候補となり、ついで『門』(1939)、『桜ホテル』(1939~40)で文壇的地位を確立。39年宇野千代と結婚したが、64年離婚。第二次世界大戦後はいち早く『マタイ伝』(1946)を発表。以後『暗い夜』(1948)、『魔に憑(つ)かれて』(1957)、『霧雨』(1971)など、多く情痴におぼれる男女の心理を描き、逆説的にモラルの行方を探って好評を博した。また『告白的女性論』(1958)は異色の女性論として反響をよんだ。[千葉俊二]
『『北原武夫文学全集』全5巻(1974~75・講談社)』

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