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北尾次郎 キタオジロウ

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デジタル大辞泉の解説

きたお‐じろう〔きたをジラウ〕【北尾次郎】

[1853~1907]物理学者・気象学者。島根の生まれ。東大教授。ドイツに留学。論文「大気運動と颶風(ぐふう)に関する理論」は高い評価を受けた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

北尾次郎 きたお-じろう

1853-1907 明治時代の気象学者,物理学者。
嘉永(かえい)6年7月4日生まれ。明治3年ドイツに留学,ベルリン大,ゲッチンゲン大で物理学をまなぶ。23年帝国大学農科大学教授。気象学の論文「大気運動と台風の理論」(独文)は海外で評価された。穀物剛性試験器などの発明でも知られる。明治40年9月7日死去。55歳。出雲(いずも)(島根県)出身。旧姓は松村。

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朝日日本歴史人物事典の解説

北尾次郎

没年:明治40.9.7(1907)
生年:嘉永6.7.4(1853.8.8)
明治時代の科学者。松江藩医松村寛祐の長男で,のち北尾家の養嗣子となる。明治3(1870)年からドイツのベルリン,ゲッチンゲン大学に留学し,物理学を専攻。16年に帰国し,気象学の独文論文《Beitra¨ge zur Theorie der Bewegung der Erdatmosha¨re und der Wirbelstu¨rme》(「大気運動および台風の理論」)の第1部を20年に『帝国大学理科大学紀要』に発表し,次いで第2部は22年,第3部は28年に発表されて完結した。これは当時としては珍しく面倒な数理論で,明治初年の日本人の業績としては異例なほど国際的にも評価されたものであった。しかし,高尚な理論であったため,帰国後は周囲の日本人のあいだに話し相手に恵まれなかった。したがって影響するということもなかったが,でっぷり太って美髯の持ち主であった北尾は時代に超越する風があってこだわらず,自身もあとを続けることをしていない。ずっとのち,昭和になって,岡田武松,藤原咲兵などの数学的,流体力学的台風の研究がさかんになって,先駆的業績として評価されることになった。帰国後東大,東京山林学校,東京農林学校,続いて帝大農科大学の教授となり,物理を農科という環境に適応させた応用研究,土壌中の水の運動に関する研究を行っている。また発明の才があって,検光器,穀物剛性試験器,測容器などをつくっている。

(中山茂)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

きたおじろう【北尾次郎】

1853‐1907(嘉永6‐明治40)
物理学者。松江藩医松村寛裕の長男として松江に生まれる。幼名を松村録次郎といい,1869年松江藩蘭学者北尾漸一郎の嗣子となる。上京し,開成学校(途中で大学南校と改称)で学び,70年選ばれてドイツに留学する。73年にはベルリン大学でG.キルヒホフやH.ヘルムホルツに師事し,のちゲッチンゲン大学で物理学を学び学位を受ける。83年帰国し,東京大学理学部に勤務し,85年教授となる。翌年,東京山林学校教授兼帝国大学理科大学教授となり,91年理学博士となる。

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大辞林 第三版の解説

きたおじろう【北尾次郎】

1853~1907) 物理学者・気象学者。松江の人。論文「大気の運動および颶風ぐふうの理論について」は台風に関する先駆的な理論研究。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北尾次郎
きたおじろう
(1853―1907)

気象学者。松江藩医松村寛祐(ひろすけ)の長男として生まれ、1869年(明治2)蘭学者(らんがくしゃ)北尾漸一郎の養嗣子(ようしし)となった。1870年ドイツに留学、ベルリン大学、ゲッティンゲン大学でキルヒホッフやヘルムホルツに師事し物理学を修めた。1883年に帰国したが、この間ベルリン生まれのルイゼと結婚した。帰国後、初め東京大学理学部勤務ののち、帝国大学農科大学教授(1890)として農林物理学、気象学などを担任。その業績は国内よりも国外で早くから高く評価された。有名なものは『東京帝国大学理科大学紀要』に連載された「大気運動と颶風(ぐふう)に関する理論」(ドイツ語)で、その内容は長く後世まで影響を及ぼし、B. グーテンベルクの『地球物理学提要』などにも引用された。彼の学説はのちにハウルウィッツB. Haurwitz(1905―1986)により追跡祖述されている。死後、知友や門人の努力によって、ドイツ語の論文集が刊行された(1909)。ドイツ語に堪能(たんのう)で、ドイツ語による長編小説『森の女神』(未刊)がある。[根本順吉]

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世界大百科事典内の北尾次郎の言及

【気象学】より

…そして,中村精男(きよお),和田雄治などの日本人の手で日本の気象学が開拓されていくようになった。明治時代には産業気象的なものが多かったが,87年に出された北尾次郎の颶風に関する論文は,これを力学的に解析したもので,世界第一級のものであった。1908年には岡田武松は《気象学講話》を自費出版し,教科書として使用され日本の気象学の基礎づくりに大きく貢献した。…

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