気象学者。松江藩医松村寛祐(ひろすけ)の長男として生まれ、1869年(明治2)蘭学者(らんがくしゃ)北尾漸一郎の養嗣子(ようしし)となった。1870年ドイツに留学、ベルリン大学、ゲッティンゲン大学でキルヒホッフやヘルムホルツに師事し物理学を修めた。1883年に帰国したが、この間ベルリン生まれのルイゼと結婚した。帰国後、初め東京大学理学部勤務ののち、帝国大学農科大学教授(1890)として農林物理学、気象学などを担任。その業績は国内よりも国外で早くから高く評価された。有名なものは『東京帝国大学理科大学紀要』に連載された「大気運動と颶風(ぐふう)に関する理論」(ドイツ語)で、その内容は長く後世まで影響を及ぼし、B・グーテンベルクの『地球物理学提要』などにも引用された。彼の学説はのちにハウルウィッツB. Haurwitz(1905―1986)により追跡祖述されている。死後、知友や門人の努力によって、ドイツ語の論文集が刊行された(1909)。ドイツ語に堪能(たんのう)で、ドイツ語による長編小説『森の女神』(未刊)がある。
[根本順吉]
(中山茂)
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物理学者。松江藩医松村寛裕の長男として松江に生まれる。幼名を松村録次郎といい,1869年松江藩蘭学者北尾漸一郎の嗣子となる。上京し,開成学校(途中で大学南校と改称)で学び,70年選ばれてドイツに留学する。73年にはベルリン大学でG.キルヒホフやH.ヘルムホルツに師事し,のちゲッチンゲン大学で物理学を学び学位を受ける。83年帰国し,東京大学理学部に勤務し,85年教授となる。翌年,東京山林学校教授兼帝国大学理科大学教授となり,91年理学博士となる。帰国後は力学,電気学,気象学,農林業物理学など多方面にわたる研究を発表した。とくに,1887年,89年,95年,東京帝国大学理科紀要に発表した《大気の運動と颶風の理論》は代表的な論文で,台風に関する先駆的なすぐれた理論的研究であり海外でも注目された。
執筆者:高橋 浩一郎
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…そして,中村精男(きよお),和田雄治などの日本人の手で日本の気象学が開拓されていくようになった。明治時代には産業気象的なものが多かったが,87年に出された北尾次郎の颶風に関する論文は,これを力学的に解析したもので,世界第一級のものであった。1908年には岡田武松は《気象学講話》を自費出版し,教科書として使用され日本の気象学の基礎づくりに大きく貢献した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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