日本大百科全書(ニッポニカ) 「北島敬三」の意味・わかりやすい解説
北島敬三
きたじまけいぞう
(1954― )
写真家。長野県須坂市に生まれる。高校時代、熱心に読んでいたカメラ雑誌を通じて写真に興味を抱いた北島は、1975年(昭和50)から「ワークショップ写真学校」の森山大道教室に通う。同校で学んでいたころから、都市の猥雑な街路に繰り広げられる人々の多様な生きざまに取材したスナップショットを撮りはじめる。76年に森山、倉田精二らとともに自主ギャラリー「イメージショップCAMP」を設立。北島はこの「CAMP」を会場に、79年の1年間、「写真特急便・東京」と題した展覧会を毎月開催するという、撮影と同時進行での連続写真展を試みるとともに、同題の小冊子の写真集を随時発行した。翌年にも沖縄を主題とした同様の試みが行われている。また、小冊子をまとめた写真集『写真特急便・東京』(1980)で日本写真協会新人賞を受賞した。
82年刊行の写真集『New York』は、81年から82年にかけて、数か月間過ごしたニューヨークを舞台に撮影されたものである。スナップショットの特徴を最大限に生かしながら、ニューヨークという都市の現実を残酷なまでに鋭く切り出したこの写真集は大きな反響を呼び、木村伊兵衛写真賞を受賞した。83年から87年にかけて、北島は西ベルリン、ニューヨーク、ソウルなど、世界の大都市を巡りながら撮影を続けている。このころからスナップショットの限界やカメラの機械的な制約について考えはじめた北島は、都市に対する姿勢にも変化を見せる。91年(平成3)に刊行した写真集『A. D. 1991』には、大都市の人気のないビル群を4×5インチの大型カメラで撮った写真と、そこに暮らす人たちのクローズ・アップの写真とが交互に編まれている。ここで北島は、以前のスナップショットとは異なり、街並と人物とを切り離して提示することで、都市の新たなリアリティーの表出を試みている。
92年から、都市に向けられていた大型カメラが人物に対しても向けられるようになる。北島は身近な人たちに白いワイシャツを着せ、白い背景で、証明写真のようなポートレートを、これまでに1600点以上撮りつづけている。中には定点観測的に、同じ人物を数年にわたり撮りつづけたものも多く見られる。被写体に一定の規則を課し、ポーズをとらせ、8×10インチカメラで撮影するこのポートレートのシリーズは、70年代から80年代にかけて北島が撮りつづけた通りがかりの人々の瞬時の表情を捉えるスナップショットとは、いわば対極に位置するものである。北島はこうして、肖像写真というありふれた手法を意図的にとり入れながら、その既成概念に抗(あらが)うように、無個性や均質性を強調した演出をほどこすことで、肖像写真あるいは写真そのものの本質的な意義に揺さぶりをかけるのである。「A. D. 1991」展(パルコギャラリー、東京)以来、9年ぶりに開催された個展「PORTRAITS」(2000、ヨコハマポートサイドギャラリー)でこのシリーズの一部が初めて発表された。2001年には仲間の写真家とともに新宿に自主ギャラリー「photographers' gallery」を設立。このギャラリーを拠点としながら、現在も写真というメディアの可能性を追求する実験精神に満ちた活動を続けている。
[高橋しげみ]
『「写真特急便・東京」No.1~12(1979・パロル舎)』▽『「写真特急便・沖縄」No.1~6(1980・パロル舎)』▽『『写真特急便・東京』(1980・パロル舎)』▽『『New York』(1982・白夜書房)』▽『『A. D. 1991』(1991・河出書房新社)』▽『『photographers gallery press 01』(2002・photographers gallery)』