北川町(読み)きたがわちよう

日本歴史地名大系 「北川町」の解説

北川町
きたがわちよう

面積:二七九・九一平方キロ

東臼杵郡の北端に位置し、東は北浦きたうら町、北東は大分県佐伯市、北は同県南海部みなみあまべ直川なおかわ村・宇目うめ町、西は西臼杵郡日之影ひのかげ町、南西は北方きたかた町、南から南東にかけては延岡市と接する。おもに砂岩・頁岩からなる四万十累層群の北川層群上に立地し、八戸やとでは北方町槙峰まきみねと同様に銅鉱床の一種であるキースラーガーが発達している。北部から中部に向けては標高五〇〇―六〇〇メートル前後の丘陵地が緩やかに傾斜しながら台地を形成している。中央部と西部には四万十累層群を貫いて地表に一部現れた花崗斑岩が見られ、西部には大崩おおくえ山・五葉ごよう岳・鬼の目おにのめ山など一五〇〇メートル前後の花崗斑岩の山々が連なる。また延岡市境には標高七二七・七メートルの花崗斑岩の可愛えの岳がそびえる。西南戦争の際に西郷軍が政府軍の重囲から脱出した可愛岳突破は有名である。宇目町を水源として当町北西部から中・南部を貫流する北川は五ヶ瀬川支流であるが、両河川とも河口付近で合流するほぼ独立した一級河川で、北川は北浦町三川内みかわうちに源を発する川など二一の支流をもつ。小川とは当町熊田くまた付近で合流するが、北川に沿った谷間の道筋は古代の官道の道筋とされ、江戸時代には豊後街道として八戸と猪野市いのいちに口屋番所が置かれた。現在は国道三二六号が大分県犬飼いぬかい町方面に向けて通っており、宗太郎そうたろう越をする国道一〇号のバイパス的役割を果している。一方、大崩山・五葉岳を水源とする祝子ほうり川は当町西部から南部を貫流し、延岡市に入って河口手前で五ヶ瀬川に合流して日向灘に注ぐ。北川・祝子川の両河川は清流として知られ、とくに北川ではシーズンには蛍の乱舞が見られ、現在町をあげての蛍祭や「蛍の館」建設が行われるなど訪れる人も多い。


北川町
きたがわちよう

[現在地名]江東区永代えいたい二丁目

はまぐり(通称三丁目)の南に位置する片側町。東は黒江くろえ町・因速いんそく寺、南は中島なかじま町、西はあぶら堀枝川が流れ福島ふくしま橋で富吉とみよし町に通じる。深川北川ふかがわきたがわ町とも称した。文政町方書上によれば、成立年代は不詳であるが、元禄六年(一六九三)火除地になった西紺屋にしこんや(現中央区)の助成地と、同一一年永代橋架橋の際の用地となった北新堀きたしんぼり(現同上)の代地を含む。成立当初より町方一手支配。町内間数は京間で一四三間余。東側は南北表間口二九間余、裏幅折回し四一間余、東西は裏行が南方一〇間余・北方一四間余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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