朝日日本歴史人物事典 「北条時村」の解説
北条時村
生年:仁治3(1242)
鎌倉後期の幕府の連署。北条政村と大河戸重澄の娘の子。陸奥守,武蔵守,左京権大夫を歴任。『吾妻鏡』には廂番衆,昼番衆としてみえる。文永6(1269)年引付衆に加えられ,翌年評定衆,同10年引付頭人となる。建治3(1277)年蒙古再襲に備え六波羅探題北方に就任。弘安10(1287)年連署業時の後任に指名されるが,鎌倉到着が遅れたため大仏宣時がこれに就いた。同年引付頭人・評定衆に復し,正応2(1289)年寄合衆。正安3(1301)年連署となる。在職中に侍所所司北条宗方に攻められて戦死した。和歌に秀で勅撰集に14首入集している。
(森幸夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報