北条時村(読み)ほうじょう ときむら

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北条時村」の解説

北条時村(2) ほうじょう-ときむら

1242-1305 鎌倉時代武将
仁治(にんじ)3年生まれ。北条政村の子。引付(ひきつけ)衆,評定衆,引付頭人などをへて,建治(けんじ)3年六波羅(ろくはら)探題北方となる。のち鎌倉にかえり,正応(しょうおう)2年寄合衆,正安3年執権北条師時(もろとき)のもとで連署となる。和歌にすぐれ「続拾遺和歌集」などに歌がのこる。嘉元(かげん)3年4月23日師時と対立する北条宗方に討たれた。64歳。

北条時村(1) ほうじょう-ときむら

?-1226* 鎌倉時代の武将,歌人
北条時房の子。建保(けんぽ)6年(1218)後鳥羽(ごとば)上皇蹴鞠(けまり)会にでる。藤原定家に和歌をまなび,「新勅撰和歌集」などに歌がおさめられている。承久(じょうきゅう)2年出家。嘉禄(かろく)元年12月2日死去。通称は相模次郎。法名は行念。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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