北根村(読み)きたねむら

日本歴史地名大系 「北根村」の解説

北根村
きたねむら

[現在地名]仙台市北根黒松きたねくろまつ・北根一―四丁目・北根・台原森林公園だいのはらしんりんこうえんさぎもり一丁目・藤松ふじまつ双葉ふたばおか一丁目・あさひおか一―四丁目

小田原おだわら村の北西、台原丘陵東部に位置し、西から南西にかけては荒巻あらまき村、北は七北田ななきた(現泉市)と接する。村名由来については仙台城下の北の峰ともいうが不詳。江戸初期の村域は七北田村を含んでいたらしく、「安永風土記」によると同村の肝入が当村肝入も兼ねていた。正保郷帳に田三五貫八六九文・畑七貫二四五文とあり、柴山と注され、ほかに新田三三貫七一七文。「安永風土記」によれば、田九貫三〇八文・畑二〇八文で、蔵入一貫四七二文、ほかは給所。ただし百姓住居はなく、仙台藩足軽の持分ならびに七北田村の入作地であった。


北根村
きたねむら

[現在地名]花園町北根

永田ながた村の北に位置し、西は猿喰土ざるがいと村。寛永二年(一六二五)一二月、日根野長五郎(弘吉)は当村で四〇石余を宛行われ(記録御用所本古文書)、旗本日根野氏の知行幕末に至る(旧高旧領取調帳など)。慶長一六年(一六一一)九月の北根之村検地(宇野家文書)によると、田方二町三反余・畑方五町四反余・屋敷二反余。この頃隣村との秣場境争論が頻発し、永田村とは同一一年から五年間に三回もの紛争が起き(同年―寛文三年「古来目安裁許召状控」同文書)さかい(現深谷市)との争論では元和四年(一六一八)の目安書と同村肝煎詫手形(ともに同文書)が残されている。


北根村
きたねむら

[現在地名]川里村北根

見沼代用水(星川)右岸にあり、南東方はせき新田村に接し、村の中央を北から南へ野通やどおり川、北東の村境を同用水が流れる。集落は野通川右岸の埋没台地上に立地する。南方広田ひろだ村と関新田村に挟まれた屈巣くす沼跡の水田地帯に広い飛地がある(風土記稿)。寛永一二年(一六三五)の忍領御普請役高辻帳(中村家文書)に村名がみえ、旗本領の役高一千八七石余。田園簿によれば田高六七七石余・畑高三四二石余で、旗本三家と幕府領。元禄郷帳は六一四石余、天保郷帳は六一二石余と大幅に減少しているのは、関新田村の分村によると思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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