北虜南倭(読み)ホクリョナンワ(英語表記)Bei-lu Nan-wo; Pei-lu Nan-wo

デジタル大辞泉 「北虜南倭」の意味・読み・例文・類語

ほくりょ‐なんわ【北虜南×倭】

15~16世紀、中国朝を悩ませた外敵、北から侵入したモンゴル族と、東南海岸を荒らした倭寇わこうの称。南倭北虜

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精選版 日本国語大辞典 「北虜南倭」の意味・読み・例文・類語

ほくりょ‐なんわ【北虜南倭】

  1. 〘 名詞 〙 明代後期、中国を悩ませた外敵。すなわち北方に侵入した蒙古族と、南方の海岸を荒らした倭寇南倭北虜。〔五雑俎‐事部三〕

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北虜南倭」の意味・わかりやすい解説

北虜南倭
ほくりょなんわ
Bei-lu Nan-wo; Pei-lu Nan-wo

中国,明代に南北から受けた外民族の侵攻。北虜とは明の北辺を侵略したモンゴル人,南倭とは南東沿海地方を略奪した倭寇 (わこう) のこと。正統 14 (1449) 年オイラート (瓦剌)の部長エセン (也先)が北辺に侵入したとき,明は土木堡で大敗したが (→土木の変 ) ,それ以来モンゴル族の侵入は絶えず,明では長城を修築するなどしてこれにそなえた。のちモンゴルではタタール部にダヤン・ハン (達延汗)が出て急速に勢力を拡大し,孫のアルタン (俺答)は嘉靖 21 (1542) 年頃から大挙して明に侵入し,殺戮略奪をほしいままにした。また沿海地方では国初から倭寇の侵略があったが,一時中絶し,嘉靖年間 (22~66) に入ると再び活発化し,華中,華南の沿海地方は大被害を受けた。特にこの後期倭寇は活動が激しく,北虜と並称されて明に対する重大な脅威となった。その構成員はむしろ日本人は少く,中国人が8~9割を占め,武装した密貿易商人の集団で,彼らは明の海禁政策に反抗した。のち彼らは私貿易の公許をかちとり,以後中国人の海外出航貿易は大いに発展するが,一方日本では豊臣秀吉が統一を達成すると倭寇を厳禁したので,ようやくその跡を絶った。

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改訂新版 世界大百科事典 「北虜南倭」の意味・わかりやすい解説

北虜南倭 (ほくりょなんわ)
Běi lǔ Nán wō

中国,明代に国の南北から受けた外民族による侵寇。北虜とは明を北方から侵略したモンゴル族のこと。南倭とは東南沿海を侵略した倭寇を指す。1449年(正統14),オイラート部のエセンが侵寇して土木の変を引き起こし,明は大きな打撃を受けた。それ以来北辺へのモンゴル族の侵入は絶えず,明は万里の長城を修築してこれに備えた。16世紀半ばにはタタール部のアルタン・ハーンがしきりに中国を侵略し,北京を数十日包囲したこともあった。ちょうどこのころ,明の東南沿海は倭寇の大侵寇を受けた。いわゆる後期倭寇である。その中心は中国の沿岸密貿易業者であるが,倭寇は一時ゆるんでいた密貿易の禁令がこのころ強化されてきたことに対する反抗であると同時に,自由な私貿易の公認を求める動きであり,これに日本の密貿易業者の加わったものであった。明朝はやがて私貿易公認に踏み切るが,この両者により明朝の国力は大きな打撃を受けた。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「北虜南倭」の解説

北虜南倭(ほくりょなんわ)

15世紀中葉以後,明朝が悩まされた南と北の外患をいう。北虜は北方のオイラト部やタタル(韃靼(だったん))部の侵入を,南倭は中国沿岸での倭寇(わこう)の略奪をさす。北では,1449年オイラトエセンの軍に正統帝(英宗)が捕われたのをはじめ,16世紀にはタタル部ダヤン・ハーンアルタン・ハーンの侵入に苦しんだ。南では,中国人を主とする後期倭寇の活動に苦しめられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北虜南倭」の意味・わかりやすい解説

北虜南倭
ほくりょなんわ

中国、明(みん)代後半に南北から受けた外患。モンゴルのダヤン・ハンの子孫グンビリク・メルゲン・ジノン(オルドス部)、アルタン・ハン(トメット部)、クンドレン・ハン(ハラチン部)、トメン・ハン(チャハル部)らは1520年代から約50年間、東は遼東(りょうとう)から西は寧夏(ねいか)までの北辺を寇掠(こうりゃく)し、首都北京(ペキン)が包囲されたこともある。これが北虜である。また南倭とは、ほぼ同じ時期に揚子江(ようすこう)河口以南、福建、広東(カントン)の沿岸地方を寇掠した倭寇(わこう)をいう。しかしこのころのいわゆる後期倭寇の8~9割は中国人で、その性格は密貿易、武装商人的なものであった。北虜南倭に基づく軍事費の負担によって明の国力は消耗し、滅亡の一因となった。

[青木富太郎]

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百科事典マイペディア 「北虜南倭」の意味・わかりやすい解説

北虜南倭【ほくりょなんわ】

中国,明代における南北の外患をさす。北方からはモンゴル人が侵入し,南方の沿岸には倭寇(わこう)が威を振るった。明朝は自由貿易を許さず,朝貢の形式を固執して貿易を制限,ために外国人の不満が高まり,侵入と略奪が繰り返された。
→関連項目

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旺文社世界史事典 三訂版 「北虜南倭」の解説

北虜南倭
ほくりょなんわ

北虜とは明代に北方から侵入したモンゴル人,南倭とは東南の海岸を荒らした倭寇 (わこう) のこと
北虜には土木の変を起こしたオイラートのエセン,タタール(韃靼)のダヤン=ハン・アルタン=ハンの侵入があり,倭寇は16世紀に特にはげしく,この両者による被害は明の衰亡を招いたという。

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