千草街道(読み)ちぐさかいどう

改訂新版 世界大百科事典 「千草街道」の意味・わかりやすい解説

千草(種)街道 (ちぐさかいどう)

滋賀県(近江)と三重県(伊勢)北部を結ぶ鈴鹿山脈越えの街道。〈千種越え〉ともいい,中世には約6km北方八風(はつぷう)街道と並んで,近江商人の伊勢路へ出る重要な通商交通路であった。近江八幡や八日市方面から,瓜生津(うりうづ)を経て甲津畑(かづはた)に至り,それから藤切川を川沿いにさかのぼる山路となる。雨乞山の北部杉峠を越えて水晶谷をわたり,鈴鹿山脈の根平峠を越えるところが千種越えである。三重県に入ると川沿いに下ればすぐ伊勢平野に出る。そして千草(菰野町)を経て桑名,四日市方面に至る。

 中世にこの街道の通商交通の独占権を有していたのは,得珍保(とくちんほ)今堀郷を中心とする保内商人およびそれと連合したいわゆる〈四本商人〉と呼ばれる座商人群であって,毎年農閑期になると商品を肩に背負い,あるいは馬に背負わせて伊勢から美濃路まで行商を行った。ときには,数百人の人と馬の隊商を組んで千草越えをしたことが,五山の僧侶横川景三(おうせんけいさん)の1468年(応仁2)の日記に記されている。なお,1570年(元亀1)5月浅井長政離反によって朝倉攻めに失敗した織田信長が本拠岐阜へ退却する際,この千種越えを通り,その際杉谷善住房に狙撃された話は有名である。
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百科事典マイペディア 「千草街道」の意味・わかりやすい解説

千草街道【ちぐさかいどう】

近江国と伊勢国を結ぶ鈴鹿山脈越えの街道。千種とも記し,千草越などとも称する。近江八幡や八日市(ようかいち)方面から甲津畑(こうづはた)を経て,雨乞(あまごい)岳北山腹を登り,杉峠・水晶谷を経て御在所(ございしょ)山北方の根平(ねのひら)峠を越え伊勢に入る。以後朝明(あさけ)川沿いに東へ下り,千草を経て桑名・四日市方面に向かう。中世には北方の八風(はっぷう)街道と並んで近江商人が伊勢に出る重要な通商路であった。戦国期には近江の保内商人が街道通行の特権を握り,通行税を支払う一方,他の通行者からは役銭を徴収していた。1558年の史料に,保内商人が運搬の独占を主張したものとして苧麻・紙・木綿・陶磁器・油草・若布・海苔・鳥類魚類などがあげられている。なお,1570年越前朝倉氏攻めに失敗した織田信長が,当街道を通り岐阜に退却する際,杉谷善住房に狙撃されたという。

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