日本歴史地名大系 「八風街道」の解説
八風街道
はつぷうかいどう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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滋賀県(近江)と三重県北部(伊勢)を結ぶ鈴鹿山脈越えの街道。中世には南方の千草街道とともに,近江商人の伊勢路へ出る重要な通商交通路であった。近江八幡や八日市方面から,御園(みその)・山上(やまがみ)を通って相谷(あいだに)の永源寺に至り,それから山道を政所・杜葉尾(ゆずりほう)と八風谷をたどって鈴鹿山脈の八風峠を越えれば朝明(あさけ)川沿いにすぐ伊勢平野に出る。蒲生郡八日市方面のいわゆる近江商人はここから桑名を経て美濃にまで商圏を広げ,紙,木わた,塩,ノリ,ワカメ,魚類,布など多種多様の商品を扱って,近江各地に売りさばき,定期的に京都にまで行商した。彼らは四本(しほん)商人とも山越商人とも呼ばれてその内部結束は固く,領主である山門(比叡山延暦寺)の威を背景にして八風・千草両街道の交通を押さえ,通商を独占し,他所の商人団が通行するようなことがあると,直ちに杜葉尾などへ出ばってその荷物をおし取ったり訴訟に持ち込んだりした。1558年(永禄1),四本商人中の保内商人と愛知(えち)郡枝村商人との間に起こされた争論は特に有名であるが,結局1560年9月に至り保内商人の勝利に帰した。八風街道はまた京都より伊勢に赴く近道として貴族や連歌師にも利用され,山科言継(ときつぐ)の日記にも1533年(天文2)この山道を伊勢にたどった記載がある。
執筆者:金本 正之
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…市域の大部分は蒲生野(がもうの)と呼ばれる台地に位置している。中心市街地の八日市は多賀大社に通じる御代参(ごだいさん)街道と鈴鹿山脈を越えて伊勢に通じる八風(はつぷう)街道が交差する交通の要衝で,明治以前は毎月2・8の日に市が開かれた。1920年ほぼ中央の沖野に飛行場が建設され,翌年第16師団航空第3大隊が配置されたため,45年までは軍事都市的な性格が濃厚であった。…
※「八風街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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