南北朝の合体(読み)なんぼくちょうのがったい

山川 日本史小辞典 改訂新版 「南北朝の合体」の解説

南北朝の合体
なんぼくちょうのがったい

1392年(明徳3・元中9)閏10月,南朝が北朝に吸収されるかたちで行われた南北両朝廷の合体足利義満と南朝との合体条件は,(1)南朝後亀山天皇が北朝後小松天皇譲位し,神器を渡す。(2)皇位は両朝交互とする。(3)国衙領は南朝皇統のものとする,などとされたが,後亀山天皇の上洛後,神器だけが渡されて他は履行されず,後小松が天皇として存続し,皇位は北朝皇統に受け継がれた。義満は敵対勢力が南朝を名目上のよりどころとする可能性を奪い,北朝天皇の正統性を獲得。南朝には反攻する勢力もなく,こののち数度,後南朝とよばれる南朝皇統の子孫によって皇位回復が試みられるのみであった。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「南北朝の合体」の解説

南北朝の合体
なんぼくちょうのがったい

室町前期の1392年,南朝・北朝両朝廷の統一をいう
3代将軍足利義満が南朝側に合体を申し入れるまでに数度の交渉が行われたがまとまらず,1392年南朝の後亀山天皇が京都帰り,譲位の形式で北朝の後小松天皇に神器を授け,半世紀に及ぶ南北朝対立は終わった。合体の条件は両統迭立 (てつりつ) するということであったが実行されず,以後持明院統(北朝)が皇位を継承した。

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