南武線(読み)なんぶせん

改訂新版 世界大百科事典 「南武線」の意味・わかりやすい解説

南武線 (なんぶせん)

東海道本線川崎駅を起点とし,中央本線立川駅に至る35.5km,および途中駅の尻手(しつて)から浜川崎駅に至る4.1kmのJR東日本の営業線。ほかに尻手~鶴見間5.4kmの支線があり,総営業キロは45.0km。多摩川砂利京浜工業地帯へ輸送することをおもな目的として南武鉄道会社が建設したもので,川崎~登戸間が1927年3月に開業,同年11月南多摩まで延長され,29年12月立川まで全通した。44年4月国が買収して南武線となった。東海道本線と中央本線とを短絡する路線として貨物輸送役割を果たしてきたが,近年貨物は大幅に減少し,武蔵野線と接続して,東京付近,とくに多摩川沿いの通勤線区として重要性を増している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南武線」の意味・わかりやすい解説

南武線
なんぶせん

東日本旅客鉄道の線路名称。川崎―府中本町東京都)―立川(たちかわ)(東京都)間35.5キロメートル、尻手(しって)(神奈川県)―浜川崎(神奈川県)間4.1キロメートル、尻手―鶴見(神奈川県)間5.4キロメートルよりなる。川崎―立川間は複線全線開業時より直流電化されている。1927~1930年(昭和2~5)南武鉄道によって川崎―立川間と尻手―浜川崎間を開業した。多摩川下流域と中流域に路線が走り、主として同じ資本系列の青梅(おうめ)電気鉄道や五日市(いつかいち)鉄道と結んで、多摩川上流域で採掘される石灰石沿線の砂利輸送を目的としていた。第二次世界大戦中の1944年に国有化されて南武線となった。第二次世界大戦ごろより沿線の川崎市内に工場が進出し、また1960年代以降は住宅化が全線にわたって逐次進み、通勤鉄道の機能が強くなった。1987年、日本国有鉄道の分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道に所属。

[青木栄一・青木 亮]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南武線」の意味・わかりやすい解説

南武線
なんぶせん

川崎 (神奈川県) -立川 (東京都) 間を結ぶ 35.5km,尻手-浜川崎間 4.1km,尻手-鶴見間 5.4kmの貨物線の3つに分れる鉄道。 JR東日本。南部鉄道により 1927年から 30年にかけて開通され,当初は多摩川上流の石灰石と砂利を輸送していた。第2次世界大戦後は通勤鉄道としての機能が強まった。

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百科事典マイペディア 「南武線」の意味・わかりやすい解説

南武線【なんぶせん】

東海道本線川崎〜中央本線立川間ほか2支線(9.5km)のJR線。南武鉄道により1929年全通。1944年国有化。営業キロ45.0km。川崎市を縦貫する首都圏の通勤線で,貨物輸送にも使われる。

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