南海泡沫事件(読み)なんかいほうまつじけん(英語表記)South Sea Bubble

改訂新版 世界大百科事典 「南海泡沫事件」の意味・わかりやすい解説

南海泡沫事件 (なんかいほうまつじけん)
South Sea Bubble

1720年に起こった南海会社South Sea Companyの株価大暴落を契機とするイギリス大恐慌。南海会社は1711年に,スペイン領中南米との奴隷その他の商品の取引を目的とし,またスペイン継承戦争でふくれ上がった国債の低利債への転換をも目的として設立された。同社がユトレヒト条約(1713)でスペイン領への奴隷の独占的供給権(アシエント)を獲得したために,膨大な利潤を予想する者が多くなり,さらに20年には東インド会社とイングランド銀行を抑えて同社がほとんどすべての国債を引き受けることを議会が承認したため,その株価が急騰した。これを契機として,ほかにも無数の〈株式会社〉が出現,熱病的な株式ブームとなった。しかし,同社がまったく利益をあげえないことが判明,株価の大暴落,つまり南海泡沫事件が起こった。この事件で多くの地主商人がその資産を失ったため,政治的にも大問題となり,多くの大臣故意陰謀の疑いをかけられた。逆に,事件の処理に手腕を振るったR.ウォルポールが,以後のイギリス政界を牛耳ることにもなる。議会も,事件後〈泡沫禁止法Bubble Act〉を可決して,特殊な例外を除いて株式会社の設立を禁じたために,以後のイギリスの経済発展に深刻な影響を与えた。なお,南海会社は50年に至って貿易活動を停止,イングランド銀行とともにもっぱら国債引受けのための会社として1856年まで存続した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南海泡沫事件」の意味・わかりやすい解説

南海泡沫事件
なんかいほうまつじけん
South Sea Bubble

1720年株価暴落を機にイギリスの経済界と政界に大混乱をもたらした事件。スペイン継承戦争中,国債を乱発した政府はその利子支払いに苦しみ,11年大蔵大臣の肝いりで南海会社が設立された。この会社は,戦争終結時に予期されるスペイン領中南米植民地 (南海地方) との奴隷貿易権 (→アシエント ) を独占的に与えられるという条件で,国債 1000ポンドを引受け,政府の財政負担を軽減した。 13年のユトレヒト条約でアシエントは認められたが,輸入奴隷に課税し,会社の貿易船は年に1隻だけという条件付きで,当初の予想よりずっときびしかった。それでも 17年の第1回貿易船は一応の利益をあげ,その有利さが喧伝されて,翌年には 100%の配当支払いを発表した。 20年会社は国債の全額引受けを申入れ,議会がこれを承認したため,ますます信用が高まって国民の投機熱をあおり,空前のブームを呼んで,同会社の株価は1月の 128.5ポンドが8月には 1000ポンドに急騰した。しかし十分な裏づけのないことが判明して9月には市場は崩壊し,12月には株価は 124ポンドに低落して破産者が続出した。その結果,閣僚のなかから汚職の嫌疑に問われる者もあって内閣は倒れ,21年 R.ウォルポール内閣が成立した。彼はイングランド銀行とイギリス東インド会社に,南海会社の株を1ポンド8シリングで引取らせることによって国家の信用を回復した。会社は 1856年まで存続したが,南海地方との貿易は 1750年をもって終った。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「南海泡沫事件」の解説

南海泡沫事件(なんかいほうまつじけん)
South Sea Bubble

1720年南海会社の株価暴落を契機にイギリスで起こった大恐慌。1711年設立された南海会社はスペイン領中南米植民地への奴隷の独占供給権を持ち,また国債を引き受けたため,株価が急騰した。それに応じて多くの同類の株式会社が出現し,空前の投機ブームとなったが,それらの多くが実態のない幽霊会社であることがわかって株価は暴落した。政界と癒着していた南海会社自体の株価も大暴落して,多くの破産者を生み,政治問題となった。この事件の事後処理に辣腕をふるったウォルポールは,その後政界の中心人物となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南海泡沫事件」の意味・わかりやすい解説

南海泡沫事件
なんかいほうまつじけん
South Sea Bubble

1720年にイギリスで起こった、南海会社の株価暴落による金融恐慌事件。南海会社は、1711年にスペイン領南アメリカおよび太平洋地域と貿易を行うことを目的として設立され、スペイン継承戦争(1701~14)終結後、新世界との貿易への期待感に加え、南海会社による国債全額引受けが公表されたため、空前の株式投機ブームがおこった。しかし、事業計画の内実が明らかとなるや数か月で株価が大暴落して南海会社株は泡沫となり、破産者が続出したうえ、南海会社投資に絡む汚職行為が露見して、政界のスキャンダルにまで発展した。南海泡沫事件の衝撃から、その後は特定の例外を除いて19世紀まで株式投資は法律で禁止された。

[大久保桂子]

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百科事典マイペディア 「南海泡沫事件」の意味・わかりやすい解説

南海泡沫事件【なんかいほうまつじけん】

18世紀初め英国で起きた投機にまつわる恐慌。1711年設立された南海会社は,1720年多額の国債と引換えにスペイン領アメリカとの貿易独占権を与えられたため株価が暴騰。これを機に類似の泡沫(バブル)会社が続出した。しかし利益の根拠が疑われて投機熱は急速に冷却,同年暮南海会社の株が大暴落して,いわゆる南海泡沫事件が生じ,多くの破産者を生んだ。
→関連項目ウォルポールバブル経済

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旺文社世界史事典 三訂版 「南海泡沫事件」の解説

南海泡沫事件
なんかいほうまつじけん
South Sea Bubble

18世紀前半,イギリスの南海会社の投機がひき起こした破産事件
名誉革命後の投機熱の中で,1711年に設立された南海会社が,スペイン領南アメリカとの貿易や黒人奴隷貿易の独占権を得たことによって株価を高騰させたことから,同様な泡沫会社が多数設立された。しかし,南海会社の利益があがらないことがわかると,株価は大暴落し,1720年には大恐慌を招いた。その結果,生産的企業を成立させる転機となった。この処理にあたったのがウォルポールであった。

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世界大百科事典(旧版)内の南海泡沫事件の言及

【株式会社】より

… 1718‐20年,パリもロンドンもアムステルダムも空前の株式ブームにわいた。このブームとその崩壊はともにパリから始まったが,フランスではジョン・ローのミシシッピ泡沫事件(1720),イギリスでは南海泡沫事件(1720)という二つのドラマティックな事件をひきおこした。ミシシッピ川流域との貿易を独占するジョン・ロー設立の特権的貿易会社の株がパリで投機の渦中にあったとき,イギリスでは中南米沿岸と西アフリカで貿易および開発の特権を与えられた南海会社(1711設立)の株が急上昇を続け,20年6月のピークには額面100ポンドの株が1050ポンドにも跳ね上がった。…

【恐慌】より

…たとえば,16世紀中ごろには王侯の財政不始末からアントワープとリヨンに有価証券取引所の崩壊現象が生じ,1637年にはオランダの諸都市にチューリップの球根の投機的取引の発展と崩壊からチューリップ恐慌が生じ,67年にはイギリス・オランダ戦争のあおりでロンドンにパニックが生じて銀行の取付けをみている。また,1720年にはフランスでロー・システムLaw’s Systemの崩壊,イギリスではサウス・シー・バブルスSouth Sea Bubbles事件(南海泡沫事件)とよばれる恐慌現象が生じたが,それらはともに国債軽減のために作られた独占的特許貿易会社の株式の投機的取引の発展と,イギリスではそれに伴う泡沫的株式会社(泡沫会社)の設立投機熱との崩壊によるものであった。さらに,アメリカ独立戦争やナポレオン戦争の開始,進行,終結などに関連して,イギリスその他に恐慌現象が生じている。…

※「南海泡沫事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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