内閣府が定義した1986年12月~91年2月の景気拡大期。低金利を背景に不動産価格や株価が急騰し、個人や企業の資産が増大した。金融機関の融資も膨らんだ。根拠が乏しいまま資産価格が上がることから泡を意味する「バブル」になぞらえた。崩壊後は銀行の不良債権問題が深刻化。企業の倒産が相次ぎ、長い不況に陥った。
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株や土地をはじめとした資産の価格が、ファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)からみて適正な水準を大幅に上回って上昇した日本経済の状況のこと。このような資産価格の高騰により支えられた景気拡大期をバブル景気という。バブルとは英語で泡のことで、中身がないのに大きく膨張し、やがて破裂して跡かたもなく、なくなることを意味する。経済学的には、株価や地価など資産価格が、投機的取引などによって、「理にかなった水準」から大幅にかけ離れて上昇する現象をさす。もともとは為替(かわせ)などの相場の変動メカニズムを説明する用語である。バブルでは、収益性などからみて実力以上に資産価格が上昇するわけであるから、ある水準になると膨らみきった泡がはじけるように急反落し、不可避的に崩壊局面を迎えることになる。バブルは繰り返し起こる現象であり、古くは、17世紀オランダの「チューリップの球根相場」、18世紀イギリスでの「サウスシー・バブル」、1929年の「大恐慌」などが有名な例である。このようなバブルとその崩壊によってもたらされる資産価格の乱高下は、経済活動に大きな影響を与えることになる。J・K・ガルブレイスは、その著『バブルの物語』において、繰り返し起こる「陶酔的熱病=金融バブル」は、それに取りつかれた個人、企業、経済界全体を危険にさらすものだと警告している。
現在の資産価格の水準は、資産の間の裁定取引(同一商品で価格が違う場合、高いほうを売り、安いほうを買うことにより値ざやを稼ぐこと)を通じて、現在の収益および利子率、そして将来の資産価格の予想によって決定されることが知られている。したがって、現在の収益と利子率の水準が安定している場合でも、現在の収益と資産価格が将来値上がりすると予想されると、それだけの要因で、現在の価格が上昇する。このように将来価格の上昇が予想されると、市場参加者は、他の市場参加者も将来価格の上昇を予想している、と判断して投機的取引を行うことによって資産価格を現実に上昇させるのである。このことがさらに、将来価格のいっそうの上昇を予想させ、価格の上昇を加速させる。いま、予想形成が合理的に行われるとすると、現在の資産価格の水準は(収益/利子率)の大きさになる。これを、「収益還元価格」といい、これが「理にかなった資産価格の水準」なのである。つまり実際の資産価格と収益還元価格との差が「バブル」ということになる。このように、投機的なバブルは価格予想の誤りに基づいて生起するのである。
日本では、1985年のプラザ合意に伴う円高と、1987年の世界的な株価暴落となったブラックマンデー(暗黒の月曜日)の景気への影響を避けるため低金利政策が続いた。このことにより、1980年代後半に株価や地価が急上昇し、バブル経済となった。日経平均株価で株価の推移をみると、1983年(昭和58)の平均は8800円であったが、1987年10月には2万6646円まで上昇し、1989年(平成1)12月末には3万8918円にまで上昇した。これは1983年に比べると、実に4倍以上の上昇である。地価も1980年代後半には、これまでに類のない上昇を示した。首都圏では、1986、1987年の2年間に、住宅地の公示地価が2倍以上になった。東京都区部では3倍近い上昇を示している。1989、1990年には、地価の上昇は大阪圏、名古屋圏に波及した。株や土地をもっている企業や個人の保有資産の価値が高まり、これを担保に低利で資金を調達することが可能となった。これらの潤沢な資金は不動産市場や株式市場に流れ込み、それによって地価や株価を急速につり上げていったのである。こうした資産価格の上昇はマクロ経済に対して好影響を与え、戦後最長の「いざなぎ景気」に匹敵する、1986年12月から1991年2月までの51か月続いた景気拡大局面をもたらした。しかし、一方では、「持てるもの」と「持たざるもの」との格差の拡大や過剰な土地需要を発生させ、所得分配および資源配分面でのゆがみという問題を引き起こすに至った。
政府の金融引締め策による金利の上昇と、税制面の見直しや土地関連融資の総量規制などをきっかけとして、資産価格は反落に転じ、バブルは崩壊した。株価は、1990年に入ると急落し、10月初めにはピーク時の約半分の2万円近くの水準まで下落した。1992年8月には1万4309円となり、ピークからの下落率は実に63%であった。一方、地価は、1991年には大都市圏において下落し、1992年1月の公示地価(全国全用途平均)は、前年比4.6%の下落となり、1993年1月は前年比8.4%の下落となった。こうした資産価格の下落により、経済の各部門で負債を圧縮させようとする、いわゆるバランスシート調整が行われることになった。資産価値の下落によって、家計部門は消費支出を抑制し、企業は、有利子負債圧縮のために手元流動性(現金・預金+有価証券)を取り崩し、設備投資を抑制した。また、銀行は不良債権の増大と株式の含み益の減少による自己資本比率の低下に対処するために、貸出を抑制することから、いわゆるクレジット・クランチ(貸し渋り)が発生した。このようなバブル崩壊の後遺症は、「失われた十年」ともよばれる日本経済の長期の停滞を招く一因となった。
[羽田 亨]
『ジョン・ケネス・ガルブレイス著、鈴木哲太郎訳『バブルの物語――暴落の前に天才がいる』(1991・ダイヤモンド社)』
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経済が実体以上にふくらんだ状態。平成景気の時期(1986年12月~91年4月),1987年(昭和62)2月のルーブル合意以後の超低金利のもとで過剰資金が生じ,株・土地をはじめ絵画・ゴルフ会員権などの異常な騰貴が生じた。90年(平成2)2月の株価暴落以降,金融引締めのなかでバブルは崩壊したが,その後,深刻な不況をもたらした。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…その間に生じるであろう銀行業の再編や,その際に生じるかもしれない銀行経営の悪化,信用秩序の動揺にどう対応するかが,銀行行政の一つの課題となった。【蠟山 昌一】
[バブルの発生と崩壊――不良債権処理]
1980年代後半に株価・地価等の資産価格が急騰したが,90年代になると急落し,バブル経済は崩壊した(〈日本資本主義〉の〈円高不況からバブル経済へ〉の項を参照)。1986年から89年にかけて,株価・地価の上昇で,毎年350兆~500兆円,名目GDPの92~140%もの規模のキャピタル・ゲインの発生によって,資産価格の値上りがいかに大きかったかを知りえよう。…
※「バブル経済」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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