日本大百科全書(ニッポニカ) 「原マルチノ」の意味・わかりやすい解説
原マルチノ
はらまるちの
Hara Martinho
(1568―1629)
天正(てんしょう)遣欧使節の一人。ポルトガル語で「マルティン・ド・カンポ」という。大村領波佐見(はさみ)(長崎県)に生まれる。有馬(ありま)セミナリオ(小神学校)の第1期生。キリシタン大名大村氏らが派遣した少年使節団の副使として1582年(天正10)長崎を出帆した。1590年禁教令下の日本へ戻り、翌1591年天草(熊本県)にてイエズス会に入る。ラテン語に長じ、セミナリオの教師として、優れた説教家としても活躍した。長崎にて管区長秘書として、ことに出版事業に尽力し、文化史上に貢献した。1608年(慶長13)神父となったが、1614年の禁教令のときマカオへ追放された。厳しい迫害の状況下にあって再入国の機会を逸し、かの地において寛永(かんえい)6年没した。
[宮崎賢太郎 2018年3月19日]
『ルイス・フロイス著、岡本良知訳註『九州三侯遣欧使節行記』(1942・東洋堂)』▽『デ・サンデ編、泉井久之助他訳『新異国叢書5 天正遣欧使節記』(1969・雄松堂書店)』▽『松田毅一著『天正少年使節』(角川新書)』