天正(てんしょう)遣欧使節の一人。ポルトガル語で「マルティン・ド・カンポ」という。大村領波佐見(はさみ)(長崎県)に生まれる。有馬(ありま)セミナリオ(小神学校)の第1期生。キリシタン大名大村氏らが派遣した少年使節団の副使として1582年(天正10)長崎を出帆した。1590年禁教令下の日本へ戻り、翌1591年天草(熊本県)にてイエズス会に入る。ラテン語に長じ、セミナリオの教師として、優れた説教家としても活躍した。長崎にて管区長秘書として、ことに出版事業に尽力し、文化史上に貢献した。1608年(慶長13)神父となったが、1614年の禁教令のときマカオへ追放された。厳しい迫害の状況下にあって再入国の機会を逸し、かの地において寛永(かんえい)6年没した。
[宮崎賢太郎 2018年3月19日]
『ルイス・フロイス著、岡本良知訳註『九州三侯遣欧使節行記』(1942・東洋堂)』▽『デ・サンデ編、泉井久之助他訳『新異国叢書5 天正遣欧使節記』(1969・雄松堂書店)』▽『松田毅一著『天正少年使節』(角川新書)』
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1568?~1629.10.23
天正遣欧使節副使の1人。1582年(天正10)長崎を出発しスペイン,ローマなどに赴く。ラテン語の才に恵まれ,帰途の87年インドのゴアでバリニャーノに対しラテン語で謝辞をのべる。帰国後の91年,天草でイエズス会に入会。在欧中に習得した洋式活字印刷の技術によって,キリシタン版の刊行に貢献。1614年(慶長19)禁教令によりマカオに追放され,同地で没。
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