げんしりょく‐いいんかい ‥ヰヰンクヮイ【原子力委員会】
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デジタル大辞泉
「原子力委員会」の意味・読み・例文・類語
げんしりょく‐いいんかい〔‐ヰヰンクワイ〕【原子力委員会】
国連にあった機関の一。原子力の管理、原子兵器の廃止などを目的として、1946年設置。1952年に軍縮委員会に吸収された。
世界の主要国にある機関で、原子力の研究・開発・平和利用などについて、企画・審議・決定する委員会。日本では昭和31年(1956)総理府の付属機関として設置。昭和53年(1978)改組されて、安全問題を担当する原子力安全委員会を分離した。現在は内閣府に属す。
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原子力委員会
げんしりょくいいんかい
Atomic Energy Commission
原子力委員会という名称を冠した組織が史上最初に出現したのは、第二次世界大戦直後の1946年1月国際連合においてであって、原子力の軍事利用を管理し、平和的開発を促進することを目的としていた。しかしこの組織は1947年7月以降活動を停止し、1952年1月以降は国連軍縮委員会(現、軍縮会議)に吸収された。
[中島篤之助]
アメリカでは、1946年に成立した原子力法(マクマホン法)に基づき原子力委員会が設立された。第二次世界大戦中、陸軍の管理下にあった原子力開発は、1947年1月1日、D・リリエンソールを初代委員長とする原子力委員会に移管され、文民管理となった。しかし、1954年アメリカが核政策を転換し、「平和のための原子力Atoms for Peace」政策を採用するまでの期間は、文民管理とはいいながら、その活動は核兵器開発のための造兵機関としての活動に集中された。1954年以降初めて、原子力発電などの平和利用のための研究開発、助成、安全規制などを行う強力な行政委員会として活動することとなる。アメリカは同時に世界各国と原子力平和利用に関する双務協定の締結を推進したので、各国にも原子力委員会がつくられることになった。アメリカでは1975年に、安全規制部門を独立させて原子力規制委員会(NRC)を組織し、開発部門はエネルギー研究開発局(ERDA)となったが、のちに新設されたエネルギー省に吸収された。
[中島篤之助]
日本の原子力委員会は、原子力基本法(昭和30年法律第186号)に基づき、原子力の研究・開発および利用に関する国の施策を計画的に遂行し、原子力行政の民主的運営を図る目的をもって、1956年(昭和31)1月、旧総理府に設置された。1978年10月、安全規制行政を担当する原子力安全委員会が分離独立した。その後、2001年(平成13)1月の中央省庁再編により、総理府が再編統合されて内閣府になったのに伴い内閣府に移管された。
原子力委員会は、法律上は行政法上の八条機関(国家行政組織法8条に基づいて設置された行政機関の一部で答申が省庁との整合性を要する)であるが、その勧告を総理大臣が尊重しなければならないことや、総理大臣を通じて関係機関の長に勧告しうることなど、単なる諮問機関ではなく、実質的に原子力平和利用の研究・開発および利用推進の最高責任機関となっている。原子力委員長は、中央省庁再編までは科学技術庁長官である国務大臣が兼務することとなっていたが、内閣府に移管されてからは、学識経験者が就任することになった。委員長と4人の委員は、国会の同意を得て内閣総理大臣によって任命される。同委員会は重要研究開発および政策に関する各種専門部会を設置して調査審議を進め、それを「原子力開発利用長期計画」に反映することとされ、2000年までおおむね5年ごとの改定がなされてきた。2005年策定分からは「原子力政策大綱」と名を改め、10年程度の期間を目安として計画を策定することとなったが、原子力安全委員会(2012年以降、原子力規制委員会)に移った。
[中島篤之助]
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百科事典マイペディア
「原子力委員会」の意味・わかりやすい解説
原子力委員会【げんしりょくいいんかい】
原子力の研究・開発・利用に関する国策の計画的遂行と原子力行政の民主的運営を目的に1956年総理府(現,内閣府)に設置された内閣総理大臣の諮問(しもん)機関。科学技術庁長官を委員長として委員4人で組織されてきたが,2001年内閣府に本委員会が設置されるかたちに変更されるのに伴い,委員長には学識経験者が就任することになった。原子力の研究・開発・利用について企画・審議・決定し,内閣総理大臣はその決定を尊重しなければいけない。なお原子力安全委員会は委員5人で組織(内閣総理大臣が国会の承認を得て任命し,委員長は互選)。1978年設置され,原子力委員会から安全審査権を移譲された(2001年の省庁再編に伴い,原子力安全委員会も内閣府に移管)。しかし,2011年3月に起こった東京電力福島第一原発の大事故で,日本の安全神話は完全に崩壊,事故発生後の対応の遅れもあり,原子力委員会にも批判が相次いだ。国の原子力政策と安全規制体制の全体の見直しが迫られている。原子力委員会の現在の委員長は近藤俊介(東京大学名誉教授,元東京大学大学院工学系教授)。→原子力管理/原子力基本法/原子力安全委員会
→関連項目アメリカ原子力委員会|有沢広巳
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知恵蔵
「原子力委員会」の解説
原子力委員会
原子力利用のための研究・開発・利用に関する政策を決める委員会。事務局を内閣府におく。原子力基本法に基づいて1956年1月に設置された。内閣総理大臣にはその決定を尊重する義務があり、原子力委員会は内閣総理大臣を通してほかの国務大臣などに勧告できる。委員長を含む委員5人で構成、総合企画・評価部会と3つの専門部会が置かれている。審議する主な項目は、関係省庁間の調整、経費の積算と配分、核燃料物質・原子炉に関する規制、研究者の育成など。委員会の定例会が毎週開かれ、審議は公開されている。2007年3月、原子力委員会(委員長=近藤駿介・東京大名誉教授)は06年版「原子力白書」を閣議に報告。初めて、原発を地球温暖化問題の解決に貢献する中核的手段の一つとして位置づけた。2030年には世界のエネルギー需要が現在の1.5倍に増えると予測。原発は石油火力発電に比べ、温室効果ガスの排出が30分の1に抑えられると強調した。原子力安全にかかわる事項は、別組織の原子力安全委員会が受け持つ。
原子力委員会
原子力の研究、開発及び利用を平和の目的に限って行うことを定めた原子力基本法(1955年12月制定)に基づいて、56年1月、国の施策を計画的に行うことを目的として設置された委員会。原子力研究開発利用長期計画(原子力長計)の策定、原子力政策の基本的枠組みの企画、審議、決定を目的とする。同時に科学技術庁も発足し、正力松太郎長官が初代委員長に就任した。2001年に中央省庁等改革で内閣府に移管された。1990年代半ばから、市民参加懇談会などを開催するなど、国民の意見を原子力政策に反映させる姿勢を見せているが、推進ありきの姿勢は変わらないとの批判もある。なお、内閣府には、安全の確保に関する事項を担当する原子力安全委員会も設置されている。
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原子力委員会
げんしりょくいいんかい
原子力基本法と原子力委員会設置法に基づいて,原子力の研究,開発,利用に関する行政の民主的な運営をはかるため内閣府に置かれた審議会。2012年廃止。原子力の研究,開発,利用に関する事項について企画,審議し,決定することを目的に 1956年1月に設置された。委員長のもとに 4人の委員で構成され,委員長は当初科学技術庁長官が兼任していたが,2001年の中央省庁再編に伴い学識経験者に変更された。1978年原子力委員会の機能のうち,安全確保に関する事項を独立して担当する原子力安全委員会が設置された。2011年の福島第一原子力発電所事故を機に原子力利用に関する体制が見直され,2012年,原子力安全行政は環境省に新設された原子力規制委員会に一元化された。
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げんしりょくいいんかい【原子力委員会】
原子力の研究,開発および利用に関する国の施策を計画的に遂行し,原子力行政の民主的な運営を図ることを目的として,1956年1月に総理府に設置された委員会。行政機関の長の諮問に応じて意見を具申するという単なる諮問機関ではなく,原子力の研究,開発および利用に関する重要事項(安全確保のための規制に関する事項を除く)について,自ら企画し,審議し,決定する権限を有しており,内閣総理大臣は,原子力委員会の決定について報告を受けたときは,これを十分に尊重しなければならない。
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世界大百科事典内の原子力委員会の言及
【原子力】より
…56年には原子力基本法が発効し,民主,自主,公開のいわゆる原子力三原則を法律によって定め,日本の原子力開発の基本姿勢となった。同年,原子力委員会が設置されるとともに,日本原子力研究所,原子燃料公社(のち動力炉・核燃料開発事業団となり,1998年10月より核燃料サイクル開発機構)が設立され開発母体となった。原子力委員会は原子力開発利用長期計画を策定し,これらの機関での研究開発の方向を示す役割を担った。…
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