日本大百科全書(ニッポニカ) 「原敬日記」の意味・わかりやすい解説
原敬日記
はらたかしにっき
原敬の青年時代から首相時代に及ぶ日記。年代は20歳の1875年(明治8)から東京駅で刺殺された1921年(大正10)に及ぶ膨大なものである。遺書には数十年後はともかく当分の間は公開してはならないとあり、盛岡市原邸内の鉄筋コンクリート倉庫に29年間眠っていた。原本は和綴罫紙帖(わとじけいしちょう)82冊の量に上り、原の生前から樟(くすのき)製の木箱に納められ、幸いにも震災や戦災を免れ、第二次世界大戦後初めて『原敬日記』として公開された。日記は二つの出版社から刊行されており、一つは乾元社(かんげんしゃ)版で、これは第一巻の青年時代から第九巻の首相時代(下)までの九巻構成で、1950年(昭和25)から翌年にかけての刊行である。もう一つは、同じく原奎一郎(けいいちろう)編(六巻のみ林茂共編)で福村出版から65年より67年にかけて刊行された。五巻構成で、〔1〕官界・言論人、〔2〕政界進出、〔3〕内務大臣、〔4〕総裁就任、〔5〕首相時代、の区分である。さらに別巻の性格をもつ第六巻は、原の遺書・紀行文・句帖・思い出・西園寺公望(さいおんじきんもち)ほかの書簡・未発表写真等々の関係資料と、原敬年表・事件年表・人名年表、解説・総索引等々を収録しており、日記と比べて原敬の個人的側面を浮き彫りにしているところにその持ち味がある。『原敬日記』は、ユニークな人生観をもつ原の青年時代から、言論人・官僚・外交官を歴任して中央政界に進出し、財界でも地歩をなしつつ政局内部で重鎮となっていく事情と実像を活写している。とくに政界で星亨(とおる)が斃(たお)れたのちに政友会の松田正久(まさひさ)・原敬時代をつくりだし、山県有朋(やまがたありとも)ら藩閥・元老を相手取って政党政治の舞台を築き上げ、大正時代に政友会の「黄金時代」を実現していく過程は、この日記を抜きにして語ることはできない。また、「平民宰相」ともてはやされた原の政治力、「力の政治家」といわれた原のきめ細かい人間像なども知ることができる。さらに第六巻には私人としての原の人間味を彷彿(ほうふつ)させる興味深い資料が随所にみられる。このようにこの日記は、原敬の剛腹さ・冷徹性・大胆さと細心さなど、政治の世界におけるその知性と性格・心情を余すところなく示すと同時に、明治から大正時代に至る政界の表裏の消息を伝え、その意味で日本の近代政治史を知るうえで比類のない資料である。
[金原左門]
『原奎一郎編『原敬日記 1~5』(1965・福村出版)』▽『林茂・原奎一郎編『原敬日記 6』(1967・福村出版)』▽『岡義武・林茂校訂『大正デモクラシー期の政治――松本剛吉政治日誌』(1959・岩波書店)』