受験参考書(読み)じゅけんさんこうしょ

改訂新版 世界大百科事典 「受験参考書」の意味・わかりやすい解説

受験参考書 (じゅけんさんこうしょ)

近代社会では,試験を原理として選抜するのがふつうである。近代の学校教育は,そのような試験に合格しうる学力を身につけさせることを目標としているとみることもできる。しかし,学校教育の普及が遅れているとき,人々は本だけを頼りに試験合格をめざすことになる。明治年間には,学校に行きたくても行けない人々のための受験参考書が数多く出版された。初めは学校用の教科書がそのまま独学用の受験参考書とされたが,やがて,教科書のわかりにくいところを懇切ていねいに解説する講義録形式の本がふえ,さらには,実際の試験問題と類似の問題を数多く並べて〈実戦〉に備えられるよう配慮されたものが現れた。単なる学習参考書から受験本位の参考書が芽生え始めるのである。学校教育の充実が進むと,講義録風の学習参考書に対する需要は減少したが,試験問題解法式の受験参考書の需要はかえって増大した。中学校の卒業生数は,1903年になって年1万人の水準を超したが,受験参考書の出版点数はこのころから急に増大する。高等・専門学校への入学希望者が増大したのに上級学校の定員枠がそれに応じて増大しなかったから,入学試験が競争試験の性格を強くもつようになったのである。こうして,受験参考書がその形をととのえたのは1910年前後のこととみてよい。当時の代表的な受験参考書として,藤森良蔵幾何学・考へ方と解き方》(青野文魁堂,1910),南日恒太郎英文和訳法》(有朋堂,1914),塚本哲三《国文解釈法》(有朋堂,1916)をあげることができる。これらは当時のベストセラーになっただけでなく,何回も改訂されて,第2次大戦後の学制改革までロングセラーとして続き,受験生に大きな影響を与えた。また,藤森良蔵(1882-1946)と塚本哲三(1881-1953)とは,1917年9月から受験雑誌《考へ方》を創刊し,〈考へ方研究社〉をおこして,〈考へ方主義〉にもとづく多くの受験参考書を出版した。藤森の〈考へ方主義〉の影響下に書かれた,小野圭次郎《英文の解釈・考へ方と訳し方》(山海堂,1921)は,72年までに1050版,600万部を売ったという。赤尾好夫が日本で初めて通信添削形式による受験指導を始めたのは1932年のことであるが,赤尾好夫《英語基本単語熟語集》(旺文社,1942)も,〈豆単〉の愛称でよばれて受験生に歓迎された。

 1941年には,旺文社が受験雑誌《蛍雪時代》を創刊して,受験産業に君臨するようになる。第2次大戦後,学制改革によって,戦前の伝統ある受験参考書の多くは新しいものにおきかえられ,〈考へ方〉に代わって〈チャート式〉などが流行するようになった。そして,受験生の増大に支えられて,ますます多様なものがでるようになっている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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