主君の領地を管理する代官が,本年貢のほかに耕地面積または年貢高に応じて一定の割合で徴収する米穀。鎌倉末期には田地面積に応じて賦課する口籾(くちもみ)がみられたが,豊臣秀吉は1586年(天正14)直轄地にたいし年貢高1石につき2升の口米を課した。江戸幕府では,直轄地のうち関東で年貢米1俵(3斗5升入り)につき1升,永納(えいのう)の場合は永100文につき3文(これを口永(くちえい)という),西国では1石につき3升と定めたが,なお地方によって多少の異同もみられる。江戸幕府の初期には,口米,口永はもっぱら代官所経費として,役人給金,筆墨紙代など使途は代官にまかされていた。しかし,代官による公金使いこみなど不正が続いたため,1725年(享保10)に制度を改め,口米,口永はすべて年貢とともに幕府蔵へ直納されることとなり,代官所経費は別に幕府より給付されることとなった。明治初年地租改正にともなって消滅した。
執筆者:大口 勇次郎
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江戸時代,本年貢に対する付加税。鎌倉末には,おもに年貢米の減損分を補う目的で口籾(くちもみ)の制があり,太閤検地を機に雑多な付加税が口米に統合された。江戸時代には,代官所の諸経費にあてられ,1616年(元和2)に1石につき2升8合5勺7才,44年(正保元)に東国で3斗7升1俵につき1升,西国で1石につき3升と定められた。1725年(享保10)以降,代官所経費は幕府から支給されるようになったため,口米は幕府米蔵に直接納められた。
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