口米(読み)クチマイ

デジタル大辞泉 「口米」の意味・読み・例文・類語

くち‐まい【口米】

江戸時代米納の本租である年貢米ほかに加徴された税米年貢減損などを補うためのもの。→口永くちえい

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「口米」の意味・読み・例文・類語

くち‐まい【口米】

〘名〙
① 田の面積に応じて、本租のほかに加徴した税米。
※山科家礼記‐長祿元年(1457)一二月二五日「すかのうらより上候年貢〈略〉口米三〈たわら。口米は浦松殿ふん也〉」
② 江戸時代の租税一種。年貢高に応じて一定の比率で徴収する米。代官所諸経費として支給されていたが、享保年間幕庫に収めることになった。
※禁令考‐前集・第四・巻三五・享保一〇年(1725)九月「口米相止諸入用被下候に付御勘定奉行より御代官え申渡候書付」
見本として俵から抜き取られる米。転じて、見本の意にも用いられる。
滑稽本・続膝栗毛(1810‐22)七「おさだまりの口米(クチマイ)ながら、美登野宿から贄川まで、おったておったて筆の鞭」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「口米」の意味・わかりやすい解説

口米 (くちまい)

主君領地を管理する代官が,本年貢のほかに耕地面積または年貢高に応じて一定の割合で徴収する米穀。鎌倉末期には田地面積に応じて賦課する口籾(くちもみ)がみられたが,豊臣秀吉は1586年(天正14)直轄地にたいし年貢高1石につき2升の口米を課した。江戸幕府では,直轄地のうち関東で年貢米1俵(3斗5升入り)につき1升,永納(えいのう)の場合は永100文につき3文(これを口永(くちえい)という),西国では1石につき3升と定めたが,なお地方によって多少の異同もみられる。江戸幕府の初期には,口米,口永はもっぱら代官所経費として,役人給金,筆墨紙代など使途は代官にまかされていた。しかし,代官による公金使いこみなど不正が続いたため,1725年(享保10)に制度を改め,口米,口永はすべて年貢とともに幕府蔵へ直納されることとなり,代官所経費は別に幕府より給付されることとなった。明治初年地租改正にともなって消滅した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「口米」の意味・わかりやすい解説

口米【くちまい】

江戸時代本途物成(ほんとものなり)に課した付加税。米で納入された。鎌倉末期,租税上納の際,収納物の欠損を補うために課せられた口籾(くちもみ)の制度が起源。江戸時代当初は年貢徴収に当たる代官の経費として代官に下付したが,代官の経費はその口米より安いものだったので1725年以後口米は幕府に納入され,代官の経費は幕府からの支給となった。
→関連項目年貢

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「口米」の解説

口米
くちまい

江戸時代,本年貢に対する付加税。鎌倉末には,おもに年貢米の減損分を補う目的で口籾(くちもみ)の制があり,太閤検地を機に雑多な付加税が口米に統合された。江戸時代には,代官所の諸経費にあてられ,1616年(元和2)に1石につき2升8合5勺7才,44年(正保元)に東国で3斗7升1俵につき1升,西国で1石につき3升と定められた。1725年(享保10)以降,代官所経費は幕府から支給されるようになったため,口米は幕府米蔵に直接納められた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「口米」の解説

口米
くちまい

江戸時代,本年貢に対する付加税
米または銀銭で納入。江戸時代以前に収納物の減損を補う場合に徴収された例もある口籾 (くちもみ) が,江戸時代に一般化したもの。納入比率は年代や地域により多様である。江戸前期は代官に事務費として下付し,1725年以後幕府へ納入させるようになった。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android