鎌倉時代の刀工。生没年不詳。山城国粟田口に住し,国吉の弟子と伝え,藤四郎と通称した。相模の新藤五国光とともに短刀の名手として名高く,現存する有銘作は一期一振の刀が一口あるほかは,ほとんどが短刀である。室町時代以来,武家の間で賞揚され,1719年(享保4)本阿弥光忠の編による〈名物帳〉には吉光を正宗,江(義弘)とともに名物三作に掲げ,名物168口のうち吉光は16口を数え,焼身分(やけみのぶ)(火災などで損傷したもの)80口のうちでは18口,あわせて34口になっている。作風は粟田口派の伝統をひく直刃(すぐは)を得意としており,古伝書では腰にアズキ粒ほどの互の目(ぐのめ)が連(つ)れる手くせがあることを記している。
執筆者:原田 一敏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
生没年不詳。鎌倉後期の刀工。京都粟田口(あわたぐち)派に属し、粟田口吉光という。通称は藤四郎(とうしろう)。国吉の弟子で、正応(しょうおう)年間(1288~93)ごろに活躍したとみられる。短刀の名手として名高く、作品は正宗(まさむね)・郷義弘(ごうよしひろ)と並び「名物三作」と称して珍重された。畠山政長(はたけやままさなが)が細川政元に攻められ、吉光の短刀で切腹を図ったが切れないので、無益な道具だと投げ捨てたところ、傍らの薬研(やげん)(製薬に用いる金属製の器具)へ突っ立ったという「薬研藤四郎」の伝説などにより、持ち主の身を守るものとして、江戸の大名家では吉光の短刀を所持する習わしがあった。なお、吉光を名のる刀工には、土佐吉光、大和(やまと)吉光など多くを数える。
[小笠原信夫]
刀工の名。古刀期から現代まで同名が多数いる。古刀期の土佐の吉光らのほか,鎌倉後期の京粟田口(あわたぐち)派の藤四郎吉光があげられる。享保期の名物帳は,正宗・江(ごう)(義弘)とともに名物三作とする。御物「一期一振」の刀,重文の薙刀(なぎなた)直し刀(骨喰)などのほかはすべて短刀か剣で,国宝4,重文9がある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新