粟田口吉光(読み)アワタグチヨシミツ

朝日日本歴史人物事典 「粟田口吉光」の解説

粟田口吉光

生年:生没年不詳
鎌倉中期の刀工。京都粟田口に住した。名は藤四郎。有国の子である国吉弟子と伝える。享保6(1721)年,本阿弥光忠によって編録された『享保名物帖』には,吉光正宗,郷義弘と共に三作とし,名物168口のうち16口,焼身を加えると34口を掲げている。これらの作品はいずれも短刀であり,特に短刀の名手として高く評価され,太刀は豊臣秀吉所持の一期一振と呼ばれるものが1口あるにすぎない。作風は小板目鍛えで,刃文はほとんどが直刃であり,腰に互の目を連ねるところに特徴がある。

(原田一敏)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「粟田口吉光」の意味・わかりやすい解説

粟田口吉光
あわたぐちよしみつ

鎌倉時代,京都粟田口派の刀工。通称藤四郎。国吉の子といわれる。相模の正宗 (岡崎正宗) ,越中の義弘 (→郷義弘 ) と並び称される名工。その作刀大半は1尺以下の短刀である。室町時代以降の武将に愛好された。 (→山城物 )  

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旺文社日本史事典 三訂版 「粟田口吉光」の解説

粟田口吉光
あわたぐちよしみつ

生没年不詳
鎌倉時代の刀工
通称藤四郎。京都粟田口に住む。相模(神奈川県)の岡崎正宗,越中(富山県)の郷義弘とともに3名工といわれ,短刀・剣を得意とし,作風は優美である。代表作に京都陽明文庫蔵の短刀吉光など。

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