吉安(読み)きつあん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉安」の意味・わかりやすい解説

吉安
きつあん / チーアン

中国江西(こうせい)省中南部の地級市。2市轄区、10県を管轄し、井岡山(せいこうざん)市の管轄代行を行う(2016年時点)。贛江(かんこう)と支流の禾水(かすい)の合流点にある。人口460万8356(2010)。秦(しん)代に廬陵(ろりょう)県が置かれ、後漢(ごかん)、南北朝代には一時高昌(こうしょう)、石陽とよばれたこともあるが、隋(ずい)代に古名に復した。明(みん)・清(しん)代は吉安府治。1914年吉安県と改称、1949年市制を施行した。贛江中流部の水陸交通の要地で、流域物資集散の中心となっていて、京九線が縦貫する。機械、化学、製紙皮革、食品加工などの工業が発達、樟脳(しょうのう)製造も行われる。周辺農村では米、サツマイモ、椿油(つばきあぶら)、スギ、マツ、クスノキ、タケを産し、養蚕も盛んで、クスノキ製の箱が特産である。

[河野通博・編集部 2017年2月16日]

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改訂新版 世界大百科事典 「吉安」の意味・わかりやすい解説

吉安 (きつあん)
Jí ān

中国,江西省中部,吉安地区の市。人口47万(2000)。やや南西に同名の県もある。江西省を南北に貫流する贛江(かんこう)の中流左岸にあり,鉄道の通じていない現在,江西南部の水運・公路の中心,物資の集散地。民国時代には省第一の富豪周氏をはじめとした金融業者の存在でも知られた。漢代,予章郡に属する廬陵(ろりよう)県が置かれ,三国の呉は261年(永安4)廬陵郡を設けてその治所とした。隋・唐以後,郡は吉州と改められ,明・清は吉安府に昇格させた。唐中期以後の開発,戦乱を避けた江北知識人の移住により,宋代になると,欧陽修,周必大,文天祥ら多数の人材をだし,科挙の合格者数も群を抜いて多かった。贛江の中州にある江万里の白鷺書院は明代の王守仁(陽明)の陽明書院とともに名高い。なお1610年(万暦38)王守仁は廬陵の知事となり,1619年の宸濠(しんごう)の乱討伐の旗上げをここで行った。吉安市の東北にある吉水県は,べっこうまだらの玳玻盞(たいひさん)と呼ばれる宋代の吉州窯の産地として知られる。
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百科事典マイペディア 「吉安」の意味・わかりやすい解説

吉安【きつあん】

中国,江西省中部,【かん】江(かんこう)中流に沿う交易都市。長江流域と嶺南地方を連絡する要衝で,木材の集散で名高い。欧陽修,文天祥の生地。56万人(2014)。

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