中国,江西省吉安市永和鎮にあった窯。唐末五代のころから越州窯風の青磁や定窯風の白磁,黒磁を焼造した。宋代には磁州窯風な白地黒花文の精緻な作品なども知られ,また抹茶法による喫茶の流行に伴い,天目茶碗も焼造された。天目では日本で玳玻盞(たいひさん),鼈盞(べつさん)と呼ぶ黒釉の上に失透釉を掛け鼈甲状の釉調のものが名高く,また剪紙(せんし)(切紙)の文様を黒釉上に貼り,失透釉を掛けて焼造した梅花天目,竜天目,鸞(らん)天目,文字天目なども珍重された。とくにケイ酸分を多く含む実物の木の葉を黒釉上に置いて焼成し,釉化して木の葉の文様を表す木の葉天目は,この窯の特異な作品である。日本には室町時代以来優れた作品が請来され伝存する作品も多い。なおこの窯の作域の広さ,多彩な技法の展開には南北中国窯技の交流の跡がみられ,南宋以降,江西省景徳鎮窯に大きな影響を与え,とくに絵画的文様を主体とする青花磁器(染付)興隆の背景をなす窯として注目されている。
執筆者:河原 正彦
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中国、江西(こうせい/チヤンシー)省吉安(きつあん/チーアン)市永和鎮にある古窯。この地は隋(ずい)時代以来吉州に属していたところから吉州窯の名がつけられた。明(みん)時代初めの曹昭は『格古要論』のなかで吉州窯の名称を用いており、「吉州窯、出今吉安府盧陵県永和鎮、其色興紫定器相類、体厚而質粗、不甚直銭」と述べ、15世紀初頭の段階ではすでに粗雑な器皿を焼く地方窯に堕していたことをうかがわせる。考古学的な調査によってもこの傾向は認められており、吉州窯はおもに南宋(なんそう)から元(げん)にかけての13、14世紀に隆盛していたことが知られるようになった。俗に日本では吉州天目(てんもく)とよばれる玳皮盞(たいひさん)は、黒釉(こくゆう)と黄釉との二重掛けによって人為的に文様を表現し、絶妙な天目茶碗(ちゃわん)を完成させて名声を博した。このほか華南ではいち早く透明釉下に鉄絵の具で文様を巡らす鉄絵を試み、黒釉掻(か)き落し法を行い、低火度の緑釉を施すなど、新技術に対してまことに意欲的であった。
[矢部良明]
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…晋時代(3~5世紀)の越州窯では漆黒の黒釉がかなり用いられ,唐代(7~9世紀)には華北でも行われ,宋代(10~13世紀)には華北・華南の各地に天目を焼く多くの窯が興された。福建省建窯の建盞(けんさん)はその代表的なもので,日本で珍重される油滴天目,曜変天目,禾目(のぎめ)天目などを焼き,江西省の吉州窯では,黒釉とわら灰釉を二重がけした玳皮盞(たいひさん)や木の葉を釉化して焼きつけた木葉天目などが作られている。また華北一帯の磁州窯系の窯では,広く河南天目と呼ぶ黒釉のかかった碗,盤,瓶,壺などが作られ,河北省の定窯では黒定,紅定と呼ぶ天目釉のかかった碗,瓶,壺などが焼造された。…
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