コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

吉岡憲法 ヨシオカケンボウ

4件 の用語解説(吉岡憲法の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

よしおか‐けんぼう〔よしをかケンバフ〕【吉岡憲法】

剣術吉岡流の歴代当主が世襲した名。初代は直元。染織の技術も相伝し、4代目憲法(直綱)が憲法染(けんぼうぞめ)を考案したとされる。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉岡憲法 よしおか-けんぽう

?-? 戦国時代の剣術家。
吉岡流の祖。流派は鬼一法眼の京八流の末とも,祇園藤次に小太刀(こだち)をまなんだともいわれ,兵法師範として室町幕府につかえたという。京都四条の染物師で,憲法染,吉岡染とよばれる黒茶染を考案したとする説もあるが史実は不明。通称は仁右衛門

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

大辞林 第三版の解説

よしおかけんぼう【吉岡憲法】

室町末期の剣術家。吉岡流の祖。京都四条の染物商だったが、祇園藤次に剣を学び、一流を興した。小太刀を用いる。室町幕府兵法所師範。生没年未詳。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

吉岡憲法
よしおかけんぽう

生没年不詳。戦国時代末期、京都の兵法者。吉岡流の祖。通称仁右衛門(にえもん)、名は直元(なおもと)。吉岡家伝の兵法は鬼一法眼(きいちほうげん)の京八(きょうはち)流の末といい、また、祇園(ぎおん)の藤次(とうじ)という者から小太刀(こだち)の妙術を得たという。天文(てんぶん)年間(1532~55)直元は足利(あしかが)12代将軍義晴(よしはる)に仕えて軍功を現し、その弟直光(なおみつ)のとき初めて将軍家の兵法所を預り、その子又三郎直賢(なおかた)は将軍義昭(よしあき)の兵法師範を勤めて、名声を高めた。直賢に3子あり、長子を源左衛門直綱(なおつな)、次子を又市直重(なおしげ)、三子を清次郎重賢(しげかた)といったが、宮本武蔵(むさし)と数度の勝負を争った「天下の兵法者」は、この直綱兄弟のこととみられる。1614年(慶長19)大坂冬の陣で徳川家康は、所司代を通じて、吉岡に大坂側に味方しないように釘(くぎ)を刺しておいたが、それにもかかわらず、一門をあげて豊臣(とよとみ)方に従軍した。そして戦後、その敗軍を恥じて兵法を捨て、西洞院四条(にしのとういんしじょう)に潜居し、門人の李三官(りさんかん)から伝えられた黒茶染めの法をもって染物業に転向したという。[渡邉一郎]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

吉岡憲法の関連キーワード吉岡流一乗寺下がり松大束万兵衛新免無二斎富田景政富田九郎左衛門戸田清玄深沢又市吉岡宮内左衛門吉岡又三郎

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone