日本歴史地名大系 「吉河庄」の解説
吉河庄
よかわのしよう
- 兵庫県:美嚢郡
- 吉河庄
「和名抄」記載の
弘安六年(一二八三)四月、竹原村を除く上庄が不断念仏供料として安嘉門院(後高倉院守貞親王娘)から大報恩院の本源院に寄進され大報恩院の仏恵が年貢を収納し、同年より歓喜光院へ二〇果、翌年より嵯峨観音堂へ二〇果を、また安光院仏供灯明料を北白河殿に安置してある本尊が戻って以降に納めること、竹原村は知行している中将局の死後、本庄に付けて大報恩寺領とすることとされた。またその際、預所職をもっていたと思われる藤原範親(似絵の名人藤原隆信の曾孫)は、上庄は祖父(曾祖父隆信)よりの相伝の地で、証拠書類の原本は歓喜光院の宝蔵に納めてあると称したが、これを不審とした大報恩院側が宝蔵中を捜したが、文書は存在しなかったという(「安嘉門院庁下文」山城大報恩院文書)。
吉河庄
よしかわのしよう
- 新潟県:三島郡
- 吉河庄
現三島郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報