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吉田篁墩 よしだこうとん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

吉田篁墩
よしだこうとん

[生]延享2(1745).4.5. 江戸
[没]寛政10(1798).9.1. 江戸
江戸時代中期~後期の古学派の儒学者。水戸藩の儒医として名が高かったが,事により禄を奪われ,江戸に出て井上金峨について儒学を学んだ。古学派の立場から考証学を唱えた。主著『論語集解攷異』 (1791) ,『活版経籍考』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉田篁墩 よしだ-こうとん

1745-1798 江戸時代中期-後期の儒者。
延享2年4月5日生まれ。常陸(ひたち)水戸藩の侍医となるが,当直日に無断往診して追放される。のち江戸で井上金峨(きんが)にまなび,経書などを校定する考拠学を提唱した。寛政10年9月1日死去。54歳。江戸出身。名は坦,漢官。字(あざな)は学儒,学生。通称は坦蔵。別号に竹門。一時佐々木姓を名のる。著作に「近聞寓筆(ぐうひつ)」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

よしだこうとん【吉田篁墩】

1745‐98(延享2‐寛政10)
江戸後期の考証学者。名は漢官,字は学儒,学生,通称は坦蔵。江戸の人。水戸徳川家お抱え医師の家に生まれ,家職を継ぐ一方で,井上金峨に入門して儒学を学んだ。いつのころか職務の上で失敗があって水戸家を追放され,以後は儒者として立った。江戸の中ごろから日本に紹介されはじめた清朝の考証学に強い関心を持ち,儒学の古典籍のテキスト批判や中国の版本の書誌の考証に業績をあげ,わが国に考証学を定着させた功労者と称せられる。

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大辞林 第三版の解説

よしだこうとん【吉田篁墩】

1745~1798) 江戸中期の儒学者。江戸の人。名は坦、字あざなは学儒・学生。折衷学者井上金峨に学び、漢・唐の古注を重んじ考証学を唱えた。著「論語攷異」「近聞偶筆」など。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

吉田篁
よしだこうとん
(1745―1798)

江戸末期の考証学の先駆者。名は坦(たん)、のちに漢宦(かんがん)と名のる。字(あざな)は学儒、のち学生(がくしょう)。通称は坦蔵、雅号は艾峰(かいほう)、篁。代々、水戸徳川家の医官であった。名医の名が高く、30歳で侍医に抜擢(ばってき)されたが、宿直の夜外診し、その罪により追放された。京坂に遊び、佐々木坦蔵と変名、江戸に帰り井上金峨(いのうえきんが)について明清(みんしん)の学を研究した。浅草に塾を開くが、名医として患者が絶えず、研究の暇がないことを嘆いたという。しかし、書の真偽の鑑定に詳しく、名書店の松沢老泉(まつざわろうせん)(1769―1822)、英平吉(はなぶさへいきち)(1780―1830)に鑑定を請われ、そのなかの精良な版写本を買い、一時、その蔵書は大坂の木村蒹葭堂(けんかどう)と併称されるほどであった。水戸藩士の立原翠軒(たちはらすいけん)と研学を断たず、のち水戸藩に復帰できた。学友にはほかに太田錦城(おおたきんじょう)、屋代弘賢(やしろひろかた)らがあった。著書『論語集解攷異(ろんごしっかいこうい)』10巻(1791、木活字版)は校勘の名著とされる。ほかに『活板経籍攷』『近聞偶筆』『近聞雑録』などがある。寛政(かんせい)10年9月1日没。54歳。[彌吉光長・柴田光彦]
『原念斎著『史氏備考 巻18』写本(静嘉堂文庫蔵) ▽東条琴台著『先哲叢談 続編6巻12』(1884・千鍾房) ▽三村清三郎著『本のはなし』(1930・岡書院/改題『本之話』、『三村竹清集2』所収・1982・青裳堂書店) ▽彌吉光長「篁手簡」(『ビブリア』83号所収・1984・天理図書館)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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