周防正行(読み)スオマサユキ

デジタル大辞泉 「周防正行」の意味・読み・例文・類語

すお‐まさゆき【周防正行】

[1956~ ]映画監督。東京の生まれ。映画の中では従来扱われなかった分野スポットライトを当てた、ユニークな作品話題を呼ぶ。代表作は、大学の相撲部を扱った「シコふんじゃった。」、米国でもヒットし、リメークされた「Shall we ダンス?」、日本の裁判制度の本質を描いた「それでもボクはやってない」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「周防正行」の意味・わかりやすい解説

周防正行
すおまさゆき
(1956― )

映画監督。昭和31年10月29日、東京都目黒区中目黒に生まれる。川崎で暮らす。立教大学文学部仏文学科で学び、イメージフォーラム映像研究所にも通う。1981年(昭和56)に立教大学を卒業するが、在学中から高橋伴明(たかはしばんめい)(1949― )監督のプロダクションでピンク映画の助監督を務めた。1984年にピンク映画『変態家族・兄貴の嫁さん』で監督デビュー。1989年(平成1)の『ファンシイダンス』で一般映画に進出する。1991年の『シコふんじゃった。』で良質なエンタテインメント作家としての地位を確立し、1996年の『Shall we ダンス?』は国際的なヒットとなった。これはユーモアペーソスの豊かな大人のエンタテインメント作品であり、サラリーマン生活の哀歓を描いたシリアスな作品としても優れている。2004年(平成16)にハリウッドでリメイクされた。2007年の『それでもボクはやってない』はキネマ旬報ベストテン第1位を獲得。

佐藤忠男

資料 監督作品一覧

変態家族 兄貴の嫁さん(1984)
ファンシイダンス(1989)
シコふんじゃった。(1991)
Shall we ダンス?(1996)
それでもボクはやってない(2007)
ダンシングチャップリン(2011)
終の信託(2012)
草刈民代 最後の"ジゼル"(2012)

『周防正行著『アメリカ人が作った「Shall we ダンス?」』(2005・太田出版)』『周防正行著『それでもボクはやってない――日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!』(2007・幻冬舎)』

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百科事典マイペディア 「周防正行」の意味・わかりやすい解説

周防正行【すおうまさゆき】

映画監督。東京生れ。立教大在学中から高橋伴明監督のプロダクションで映画製作に関わり,のち高橋や若松孝二の助監督となる。ピンク映画《変態家族・兄貴の嫁さん》(1983年)でデビュー。台詞回しやカメラ・アングルなど,小津安二郎の作品を意識的になぞった作風が一部で注目される。その後も修行僧を主人公にした《ファンシイダンス》(1989年),大学の相撲部を舞台にした《シコふんじゃった》(1992年),社交ダンスに焦点を当てた《Shall we ダンス?》(1996年)などユニークな題材の作品を手がける。映画史をふまえたコメディ・タッチの演出で評価が高い。バレリーナ草刈民代は夫人。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「周防正行」の解説

周防正行 すおう-まさゆき

1956- 昭和後期-平成時代の映画監督。
昭和31年10月29日生まれ。昭和59年「変態家族・兄貴の嫁さん」で監督デビュー。世紀末の日本の世相をユーモアあふれる映像で活写する。平成4年「シコふんじゃった。」,10年「Shall we ダンス?」で日本アカデミー賞。後者はアメリカでもヒットし,アメリカでの日本映画の興行記録をぬりかえた。20年「それでもボクはやってない」でキネマ旬報監督賞・脚本賞,毎日映画コンクール監督賞,ブルーリボン賞監督賞,芸術選奨文部科学大臣賞。25年「終の信託」でキネマ旬報ベスト・テン日本映画監督賞。妻は元バレリーナで女優の草刈民代。東京出身。立大卒。

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