音楽に合わせて男女のペアがおどる社交ダンスは、大きく「スタンダード」と「ラテン」に分けられる。スタンダードは、フォーマルな
社交を目的としたダンスは、
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社交ダンスは、スクエア・ダンス、フォーク・ダンス、オールドタイム・ダンスなどを含まない、男女が一対で自由に踊る形式のもので、男性がリードし、女性がこれにフォローし、音楽にあわせながらステップを楽しむものである。ソーシャルダンスsocial danceの訳語であるが、現在は世界的にこのことばは死語となり、ボールルームダンスballroom danceまたはダンススポーツdance sportsとよばれている。
社交ダンスは小さな部屋で家族、友人そろって楽しむことができるが、舞踏場のように広いフロアーでは運動量も大きくきわめてスポーツ的な要素ももっている。またダンス競技は、男女のカップルによって表現される舞踏芸術であり、観衆を魅了する。
[永吉 彰・篠田 学]
社交ダンスは原始的求愛の踊りや社交的種類の踊りから発達したもので、広義には宗教的・儀式的でない原始社交ダンス、宮廷ダンス、オールドタイム・ダンス(シークエンス・ダンス)なども含まれる。ヨーロッパ諸国ではこの種のダンスが中世から踊られ、パバーヌ、クーラント、メヌエットなどが17世紀中ごろから18世紀にかけて人気があった。18世紀にはコントルダンスやカドリーユが踊られ、後半期に、オーストリアのウィーンで、ワルツが現代のようなクローズド・ホールドで初めて踊られた。
20世紀初頭、アメリカのバーノン・カッスル夫妻Vernon & Irene Castleが現代の社交ダンス、フォックストロットやその他の基本的なステップ、動作を考案し、急速に西ヨーロッパ諸国を中心に普及した。現在、競技ダンスが盛んな国はイギリス、イタリア、ドイツ、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、オーストラリア、南アフリカなどであり、1990年代なかば以降、中国や旧ソ連圏の国々が子供のダンスに力を入れて、レベルがあがってきた。
日本では1880年代、明治初期に政府の外交的必要性から鹿鳴館(ろくめいかん)に外国貴賓を招き、舞踏会が催されたのが最初で、当時は男女4人で踊るコントルダンスであった。1889年(明治22)に政治的事情で鹿鳴館ダンスは終わりを告げた。1918年(大正7)横浜鶴見(つるみ)の花月園食堂に専属バンドを置くダンスサロンができた。これが職業的ダンスホールの始まりで、その後東京にもレコード演奏で踊るダンスホールが出現した。23年の関東大震災でダンスの中心は大阪に移り、ダンスバンドと女性の職業ダンサーを置くダンスホールができた。やがて東京にも同形式のダンスホールができたが、第二次世界大戦で軍国主義政策のため、全国のダンスホールとダンス教習所が閉鎖された。
第二次世界大戦後、社交ダンスは戦前以上の盛況ぶりを現したが、戦前のような形式のダンスホールは少なくなって、キャバレーや同伴で楽しむナイトクラブ形式のものが多くなった。一方、年配者を主とする健康志向の愛好家が増え、各地の公民館や体育館でダンスを楽しみ、学ぶサークルが増えてきた。また、競技ダンスが盛んになり、全国的規模の競技会は年間に4回を数え、そのほか、各都市や県単位で数多くの競技会が開催されるほか、大学生やジュニア(16歳以下)、ジュブナイル(12歳以下)、シニア、グランドシニアなど年齢別の競技会も開催されている。
[永吉 彰・篠田 学]
欧米諸国では、1920年初めてイギリスがアメリカとフォックストロットの対抗競技を行い、勝利を獲得した。22年ワルツの第1回世界選手権が開催され、29年ボールルームダンスの公式委員会が設立され、規約がつくられた。50年ダンス競技の国際行事を管理するため、ICBD(International Council of Ballroom Dancing。国際ダンス評議会)が創立され、その規約により59年初めて世界選手権大会が、アマ・プロ両部門について行われた。
1950年(昭和25)社団法人日本社交舞踏教師協会(NATD。1946創立)がICBDに加盟、61年永吉彰(ながよしあきら)がこの会議に初めて出席した。同年彼によりラテン種目が紹介され普及した。62年オーストラリア、メルボルンの世界選手権大会に日本が初出場し、篠田学(しのだまなぶ)夫妻が決勝6位を獲得した。63年にはダンス界の最高栄誉賞カール・アラン賞が藤村浩作(こうさく)に贈られた。
1969年日本が主催してICBD公認の世界プロフェッショナル・ダンス競技選手権大会が東京武道館で行われ、参加国は、日本、イギリス、旧西ドイツをはじめ10か国に及んだ。以後、日本選手は毎年この大会で活躍している。東京で開催された第2回(1977)、第3回(1982)と回を重ねるごとに参加国、選手とも増加、とくに82年大会では、共産圏を含む24か国、72組の選手が参加し、日本の櫻本和夫(かずお)夫妻がモダン・ダンス部門で2位に入賞した。
1990年代なかばまでは、日本の競技ダンスにおけるレベルは世界で2、3番目の実力を誇っていたが、後半以降は残念ながらプロフェッショナルの世界選手権で決勝(6位以内)に入るのはむずかしい状況となり、アマチュアに関しては準々決勝(ラスト24組)にも入ることができない。
[永吉 彰・篠田 学]
1984年(昭和59)10月、NHK教育テレビで、ダンスレッスン番組「レッツ・ダンス」の放送が篠田学講師によりスタート、2年間にわたり放映され、全国に爆発的なダンスブームが起きた。2001年(平成13)現在、日本のダンス人口は1000万~1500万人といわれている。
1992年3月24日、文部省(現文部科学省)の認可を受け、日本のアマ・プロを統括する公益法人として財団法人日本ボールルームダンス連盟(JBDF。旧日本競技ダンス連盟)が誕生した。また、98年11月1日、ダンススクールはそれまで風俗営業とされていたが、法律(風俗営業等取締法)が改正され、JBDFまたは社団法人全日本ダンス協会連合会(ANAD。1985創立)が認定する資格を所持している者が教えているスクールは除外されることとなった。このように、90年代に入って以降、社交ダンスは生涯スポーツとしてのニーズの高まりがみられる。
1998年7月、国際オリンピック委員会は、ダンススポーツをオリンピックの正式種目として受け入れることを決定した。また、2001年8月、秋田県で行われたワールドゲームズ(オリンピック競技以外で行われる4年に一度の国際スポーツ大会)でダンススポーツが開催競技となるなど、ダンススポーツは国際的総合競技大会にも参加している。
[永吉 彰・篠田 学]
社交ダンスの種類は数多くあるが、競技種目として公認されているものは、次の10種目で、モダン・ダンス(スタンダード種目)と、ラテン・ダンス(ラテンアメリカン種目)に大別される。
モダン・ダンスは格調と品位が重視され、特徴として男女が密着して組んで踊ること、時計の針と反対の方向に回る方向性があることがあげられる。競技種目として、ワルツ、タンゴ、フォックストロット、クイックステップ、ウィンナ・ワルツの5種目がある。このほか、一般に踊られるブルース、スケーター・ワルツなどもこの系統に入る。
ラテン・ダンスはモダン・ダンスと比べて歴史は浅いが、ポピュラーな踊りで、特徴として離れて自由に踊れること、手や頭など体全体でリズムを表現することがあげられる。ラテンアメリカ生まれのダンスが多く、明るい情熱的な踊りである。競技種目として、ルンバ、サンバ、チャチャチャ、パソドブレ、ジャイブの5種目がある。そのほか、スクエア・ルンバ、マンボ、ジルバ、ボサノバ、ディスコダンスなどがある。サンバ、パソドブレ以外のダンスは、フロアーを進行せず、その場で踊る。
(1)ワルツwaltz ボストン・ワルツやウィンナ・ワルツから発展したもので、回転が踊りの中心。音楽のタイムは4分の3拍子。基礎リズムは123と数える。回転をスムーズにさせるため、ライズとロアの上下運動とスウェイ(左右への傾斜)があるのが特徴。
(2)タンゴtango 発祥地はアルゼンチン。フランス、ドイツを経てイギリスで競技型に標準化された。歯切れのよいスタッカートなリズムで、激しく悩ましく表現する。4分の2拍子。基礎リズムはスロー・スロー、またはクイック・クイック・スローと数える。スローは1拍子、クイックは2分の1拍子の速さ。情熱的な雰囲気がその魅力と特徴。
(3)フォックストロットfoxtrot アメリカで生まれ、イギリス人によって完成された、イギリススタイルの代表的なダンス。4分の4拍子。主要な基本のフィガーはスロー・クイック・クイックの1小節、またはスロー一つにクイック六つの2小節で構成されている。スローは2拍子、クイックは1拍子。技術的にはもっとも高度なテクニックを必要とし、のびのびした大きな動きのなかに、流れるようなムーブメントが要求される。最初はぴょこぴょことキツネが速足で歩くようなバウンス(上下動)があったが、現在の踊りはスムーズな動きに変わり、1分間に30小節前後のゆっくりとしたリズムの曲で踊られる。
(4)クイックステップquickstep アメリカのカッスル夫妻によって基礎がつくられた、軽快でアップテンポなアメリカ的な踊り。4分の4拍子。ステップの基本はウォークとシャッセで基礎リズムはスロー・スロー、またはクイック・クイック・スロー。スピーディーな動きに加えてトリッキーなフットワークが特徴。1分間に50小節前後の曲で踊られる。
(5)ウィンナ・ワルツwiener walzer ビィーニーズ・ワルツviennese waltzともいう。発祥地はウィーン。4分の3拍子。正統派ダンスの典型。左回り、右回りとフレッカールという1点上で回るステップがある。
(6)ルンバrumba ラテンアメリカの代表的な踊り。発祥地はキューバ。フランスを経てイギリスに渡り、ピエールMons. PierreとラベルDoris Lavelleにより現在の競技型キューバン・ルンバに標準化された。4分の4拍子。第1拍目は休み、フィガーの第1歩目は音楽の第2拍目で始められるオフビートで踊ることに特徴がある。カウントは2341ととる。この踊りは男と女の愛の葛藤(かっとう)を表し、柔らかなヒップアクションが特徴。このほか、スクエア・ルンバ(アメリカン・ルンバ)があり、ステップがやさしく、初心者に好んで踊られる。
(7)サンバsamba 発祥地はブラジル。のちアメリカ、フランスを経由してイギリスへ渡り、競技スタイルが完成。4分の2拍子。基礎リズムはスロー・ア・スローまたはスロー・クイック・クイック。スロー・ア・スローは4分の3、4分の1、1拍子で、スロー・クイック・クイックはスローは1拍子、クイックは2分の1拍子。このリズムの変化がもっとも大きなポイントとなる。また、バウンスと前後左右へのヒップ・ムーブメントも重要。技術的には高度で、ブラジルのサンバとは異なる。
(8)チャチャチャcha-cha-cha 発祥地は西インド諸島。1950年代からアメリカで流行し、のちイギリスで標準化された。4分の4拍子。基礎リズムは234&1で、第2拍目からステップを始める。陽気さと歯切れのよいリズムで、強いビート・アクションとコミカルでコケティッシュな表現がこの踊りの要点。
(9)パソドブレpaso doble 発祥地はスペイン。のちにフランスで流行し、ドイツ、イギリスに渡った。4分の2、4分の3、8分の6拍子などがあるが、競技には4分の2拍子が使われる。基本リズムは1212で各拍子に1歩のステップ。スペインの闘牛士(マタドール)の勇壮な姿を表現した踊りで、男性はマタドール、女性はケープの役割を表現する迫力のある踊り。
(10)ジャイブjive 黒人の踊りから発生したジタバグ(ジルバ)が原型。4分の4拍子。ジタバグのリズムが123456なのに対し、ジャイブのリズムは123a43a4で、12は1拍子、3a4は4分の3、4分の1、1拍子。アクセントが第2・第4の拍子にある。デキシーランドスタイルの速いものから、ロックン・ロール、ディスコまで幅広いリズムに対応できる。スインギーなアクションとコミカルな楽しさがこの踊りの特徴。
[永吉 彰・篠田 学]
技術評価に重点が置かれ、審査基準としては次の5点がその対象となっている。
(1)ステップの基本リズムと音楽のタイミング 音楽性の表現以前の、基本的なリズムのとり方、踊りが音楽にあっているかどうかなど、もっとも重要なポイント。
(2)スタイルとハーモニー カップルとしてのバランス、ボディーライン、パートナーとのハーモニーに加え、それぞれの体の部分についても注意点がある。
(3)ムーブメント 全体に滑らかな動きで、音楽の特性をうまく生かしているか、パートナーとのハーモニーを保ちつつ、ソフトでかつ大きな動きをしているかどうかがポイント。
(4)音楽の表現力 音楽の芸術的な表現力、音楽に対する感性、体と音楽の一体感など高度な才能がその対象。
(5)正確なテクニック 長い歴史のなかで研究されたダンスの技術は、フットワーク、ライズ・アンド・フォール、足の位置などについて合理的に詳細にその原則が決められており、それらのセオリーに忠実であるかどうか、などが審査される。
競技はアマチュアとプロフェッショナルとがあり、主としてJBDFを通じて開催される。このほか全日本学生競技ダンス連盟(学連)と日本ダンススポーツ連盟(JDSF)がある。教師団体としては、NATDのほかにANADが設立されたことにより、プロの試験が全国的に統一され、カリキュラム(教程表)も決定、全国どのスクールでも同じ教程のもとに教わることができるようになった。
[永吉 彰・篠田 学]
『永吉彰著『ダンス』入門編・上級編(1981・虹有社)』▽『篠田学著『社交ダンス入門』(1986・二見書房)』▽『篠田学著『ダンスを始める人のために』初級編(1989・池田書店)』▽『永井良和著『社交ダンスと日本人』(1991・晶文社)』▽『篠田学著『ダンスインストラクション』中級編(1994・池田書店)』▽『篠田学著『ダンステクニック――基本フィガーからポピュラー・バリエーションまで』上級編(1997・池田書店)』▽『篠田学著『篠田学のダンス・イラストレッスン――モダンを美しく踊る83のセオリー』(1999・モダン出版)』▽『篠田学著『篠田学のダンス入門』(2001・池田書店)』
ソーシャル・ダンスsocial danceの訳語。男女が一組になって屋内のフロアで踊るダンス。古くはボールルーム・ダンスballroom dance(舞踏室の踊り)ともいわれた。
原始時代の舞踊は呪術や儀式として踊られ,男だけのもの,女だけのものとに分かれていたが,中世の農民の踊りの多くは男女がいっしょに楽しむものになり,フォーク・ダンスfolk danceが発達した。また中世のヨーロッパでは,農民の踊る荒々しい踊りは身分の高い男女にはふさわしくないとされた。宮廷では,ゆったりとした音楽による,踊りの規則のやかましいものへと変化して,優雅なメヌエット,ガボット,カドリーユなどが生まれた。フランス革命後,宮廷での儀式的なものより庶民的な踊りが好まれるようになり,古くからオーストリアの山岳地方で行われていた舞踊レントラーLändlerがしだいにワルツに発展,ウィーンを中心にヨーロッパ全域へと爆発的な流行をもたらした。ワルツ王J.シュトラウスは,〈ウィンナ・ワルツ〉の名曲を数多く作ったが,男女が一対に組んで旋回をともないながら滑るように踊るワルツのステップに,今日の社交ダンスの起源をみることができる。熱狂的にヨーロッパに広がったこのワルツはアメリカに渡り,ゆるやかなボストン・ワルツが生まれた。これは第1次世界大戦直前イギリスに移入され,大戦後ヨーロッパ全体に流行し,現在のワルツの形が生まれた。また,テンポの速いクイック・ワルツを〈ビニーズ・ワルツViennese waltz〉といい,ドイツのパウル・クレブスが創案し,ダンス競技の種目に加えられている。
1910年にはアメリカのアイリーンIrene CastleとバーノンVernon C.のキャッスル夫妻が,ジャズを伴奏にして,はじめてヒール(踵)から脚を運ぶ普通の歩き方と同じ自然なスタイルで踊るダンスを〈フォックストロット〉と名づけて発表した。それまでの踊りは,トウ(つま先)から脚を運んでいたが,キャッスル夫妻の始めたこの〈キャッスル・ウォーク〉は,近代社交ダンスの基礎となった。ブルースもこの流れをくむものであり,また,イギリスのフロレンス・バーセルはフォックス・トロットよりさらにテンポの速い〈クイック・ステップquick step〉を考案した。アメリカの黒人の音楽と踊りからは〈チャールストン〉が生まれ,ニューヨークを中心に社交ダンスは大きく変化しつつ流行した。アルゼンチンで生まれた〈タンゴ〉はブエノス・アイレスで19世紀末ころ起こった舞曲による踊りだが,20世紀初めヨーロッパに渡り,フランスでは〈フレンチ・タンゴ〉として改良され,さらにイギリスに渡った。ヨーロッパで流行したタンゴは〈コンティネンタル・タンゴ〉と呼ばれる。
ラテン・アメリカでは,白人の持ち込んだメロディ,インディオが持つムード,黒人のリズムの3要素が混ざり合い,キューバ起源による〈ルンバ〉を生んだ。これはニューヨーク,パリ,ロンドンに渡り,〈スクエア・ルンバ〉〈キューバン・ルンバ〉として踊られた。ブラジルの〈サンバ〉は1923,24年ころパリに紹介され,29年ころにはニューヨークでも踊り始められた。闘牛場での行進曲として名高い〈パソドブレ〉は,スペインをはじめ,ヨーロッパのラテン系諸国,中南米諸国で踊られ,第2次大戦後,イギリスでも踊られた。ペレス・プラードが編曲し発表した〈マンボ〉は1940年代末から流行し,50年代には〈チャチャチャ〉が世界的に歓迎された。同じころジャズのリズムはジルバを生み,ブギウギの曲で踊られ,第2次大戦中イギリス,フランスに上陸したアメリカ兵によって広められた。イギリスではジルバから〈ジャイブjive〉を生んだ。
日本には明治初期に社交ダンスが導入され,1883年(明治16)に鹿鳴館が建設されてから盛んになった。カドリーユ,メヌエット,ウィンナ・ワルツ等を数組の男女が一団となって踊り,上流階級の人たちが楽しんだ。1918年,横浜市鶴見の花月園に欧米流の社交ダンス場が誕生したが,職業ダンサーをおかない女性同伴で通うものだった。関東大震災(1923)後,大阪に専属のダンサーをおいたダンスホールが続々と生まれ,東京にも波及した。ダンスホールでは専属のジャズ・バンドとタンゴ・バンドが生演奏を行っていた。当時最も人気のあったのはタンゴであったが,前記したキャッスル・ウォークで有名なフォックス・トロットやチャールストンも23年ころには移入されていた。第2次世界大戦により40年に政府の方針でダンスホールはすべて閉鎖された。戦後は,駐留軍のダンスホールからジルバが流行し,復活したダンスホールで盛んに行われるようになった。次いでツイスト,ゴーゴーなど即興的な踊りがアメリカからもたらされた。日本の社交ダンス界に大きな転換をもたらしたのは,イギリスのレン・スクリブナーとネリー・タガンの55年の来日であった。世界各国のダンスを統合し,イギリス・スタイルに整理されたものが,その後日本の社交ダンスの基本になっている。
日本の社交ダンスは一般大衆のものとして発達した一方,競技ダンスという形で専門化されていった。男性はタキシード,女性はイブニング・ドレスの正装でモダン系(ワルツ,タンゴ,フォックス・トロット,ビニーズ・ワルツ,クイック・ステップ)とラテン系(キューバン・ルンバ,キューバン・チャチャチャ,パソドブレ,サンバ,ジャイブ)の10種目を競い合う。1931年に銀座のダンスホール〈フロリダ〉で日本最初のアマチュアによる競技会が催されているが,戦後,50年に日本舞踏競技連盟が発足し,プロの競技会が行われるようになった。〈世界ダンス選手権大会〉は69年に日本で初めて行われ,77年に2度目が開かれた。
執筆者:矢沢 希代子+桜井 勤
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…一般にはダンスをするための広い部屋をいうが,大正時代に登場した日本のダンスホールは,バンド(またはレコード)演奏があり,客の相手をするダンサーがいて,入場料を取って社交ダンスを踊らせる遊戯場であった。社交ダンスそのものは,すでに明治初年の東京浜離宮の延遼館をはじめ,1883年の東京京橋の明治会堂における民間最初の舞踏会や,同年に落成した鹿鳴館などで試みられたが,それらはいずれも政治家や高級官僚など特権階級の社交場であった。…
※「社交ダンス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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