和木村(読み)わきむら

日本歴史地名大系 「和木村」の解説

和木村
わきむら

[現在地名]大和町和木

大草おおぐさ村の西、山福田やまふくだ村の北に位置し、沼田ぬた川の最大支流椋梨むくなし川が北西から流れ、北からの徳良とくら川、東からの大草川と村中央で合流して西へ流れる。豊田郡に属し、南東の別所べつしよ村のうちに飛郷長原ちようがはら(現定ヶ原)がある。椋梨川の氾濫によって低地の遺跡は流失・埋没したものも多いようで、流域からの出土遺物は少ない。西北部の山地に加造田かそうだ古墳群、西部山地には一万山いちまんやま古墳群がある。沼田本庄と沼田新庄を結ぶ交通の要地で、道路沿いに在郷町が発達した。文永三年(一二六六)四月九日の関東下知状(小早川家文書)によると、建暦三年(一二一三)九月三日、小早川季平に沼田庄内新庄の地頭職が与えられ、その子孫が庄内各地に在住して勢力を扶植、当地には椋梨小早川国平(季平の子)の子為平が和木氏を名乗った(小早川家系図)

仁治四年(一二四三)二月日付の安芸沼田新庄方正検注目録写(小早川家文書)によると、和木の作田は二七町三反三〇〇歩、うち除田二町二反六〇歩・定田二五町一反二四〇歩、所当米三八石七斗九升二合、一斗代の田がいちばん多くて一二町三反二四〇歩あり、地頭得分は地頭給二反と所当米のうち地頭分一五石五斗六升七合であった。


和木村
わきむら

[現在地名]和木町大字和木

玖珂郡の東端、安芸国との国境に位置する。北は小瀬おぜ川を挟んで安芸国大竹おおたけ(現広島県大竹市)、西は瀬田せた、南は室木むろのき(現岩国市)の各村に接する。東は装束浜しようぞくはま(現岩国市)および瀬戸内海に面する。岩国藩領。

天正一六年(一五八八)の周防大滝村田畠帳に「周防大たけ」「周防大滝」とあるのがこの付近のことである。しかし「閥閲録」所収の脇八郎右衛門文書に「私家之儀は(中略)周防之国安芸境脇村と申所に居住仕、在名を以称号脇に罷成候」とあり、同文書中には明応五年(一四九六)および大永七年(一五二七)大内義興の脇三郎五郎宛文書以下、天文(一五三二―五五)頃の古文書数通がある。もしこの脇家の伝承を信じるならば、和木の初名は脇で、中世にさかのぼることになる。しかし、村名の由来について「享保増補村記」は「脇村旧名大滝村トイヘリ、其後脇村ト改ム、改号ノ年月未ダ考ズ、又、和木村共書リ、和木ハ脇ノ万葉書ナルベシ」といい、周防大滝村田畠帳に「大たけ」「大滝」とあることとも符合する。


和木村
わきむら

[現在地名]宇佐市和気わき

御許おもと山の北麓、北流する寄藻よりも川の西岸に位置する。同川対岸東方は岩崎いわさき村、西は宇佐村、南は橋津はしづ村。村の西半は宇佐台地、東半は寄藻川が形成した沖積平地である。この平地部は古代には海であったといわれ、柁鼻かじばな入江いりえ柁取かじとり浜首はまくび大波だいはおきなど海や港に関係すると思われる字名が多く残る。柁鼻にある柁鼻神社横の船つなぎ石は、神護景雲三年(七六九)道鏡天位の神託を下した宇佐宮に真偽確認のために下った勅使和気清麻呂が船を係留した所といい、「豊前志」にも「彼の卿の船つなぎ石と云ひ伝えるあり、しかれば和木は和気を訛れるにて」とあり、村名の由来を和気清麻呂に求める伝承がみえるが、古くは脇と記した。文明五年(一四七三)三月日の益永通輔所領注文案(益永文書)に惣検校職知行分として封戸ふべ郷益永領三町五段がみえ、この三町五段は「蜷木・日足・伏田・脇村」にあった。


和木村
わきむら

[現在地名]江津市和木町・二宮町羽代にのみやちようはしろ

那賀郡北部に位置し、東は嘉久志かくし村、南西は都野津つのづ村、南東方に飛地の羽代地区がある。羽代については元応二年(一三二〇)八月一七日の某女譲状(飯田文書)によれば、都野つの郷内で「郷内波代村田地半分并浦在家」が養子の孫鶴丸に譲られている。当村はもと脇名わきみようと書かれたようで、慶長七年(一六〇二)の大久保長安による検地では検地奉行中河忠兵衛の名で石州中野郡郷之内都野津村脇名御縄水帳写(小川家文書)が残る。近世初期に都野津村から分村し、正保三年(一六四六)に「今度津の津わきはしろ村御引わけ成し下され」と(「都野津和木村分離覚書」同文書)、和木・羽代の都野津村からの分離が記される。同四年の古田領郷帳に「都野津村ヘ入ル」として村名があり、高八九石余として「羽代」が付記される。宝永石見国郷村帳でも都野津村枝郷と肩書される。宝暦九年(一七五九)には家数七六・人数四六三、天保七年(一八三六)には家数一八〇・人数一千一〇七、慶応四年(一八六八)では一千五二六人と急増を示す(浜田藩跡市組の人口)


和木村
わきむら

[現在地名]両津市和木

南西はぼうさき村、北は馬首うまくび村。後背地は石名いしな(現相川町)と境する。金剛こんごう山の支脈が海に突出する宮尾みやのおに和木崎がある。集落は段丘下に海に面し、列村形態をなす。馬首村境を流れる和木川は水源を坊ヶ崎村内あま池より発し、北平きたびら山を通じおお滝を経て流下する。村の用水はこの川の水を引く。慶長五年(一六〇〇)の脇村苅帳写(和木区有)には本苅合一千七〇一束・見出合二四〇束で、名請百姓五人・分付百姓七人。元禄七年(一六九四)検地帳(同区有)では田八町二反余・畑一町五反余で名請人三一人。


和木村
わぎむら

[現在地名]綾部市和木町

山家やまが村の枝村で、由良川左岸の段丘に位置する。東は下原しもばら村、西は綾部郷野田のだ村、南は山稜で隔てて天田郡大原おおばら(現三和町)。「丹波負笈録」は

<資料は省略されています>

と述べる。初め山家藩領に属したが、寛永四年(一六二七)に旗本梅迫谷氏領となった。元禄一三年(一七〇〇)の知行所村高付帳には七〇石余(山役を合わせ七一石余)とあり、東隣の下原村分と合わせ梅迫谷氏領山家村は一〇〇石であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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