日本歴史地名大系 「和木村」の解説
和木村
わきむら
仁治四年(一二四三)二月日付の安芸沼田新庄方正検注目録写(小早川家文書)によると、和木の作田は二七町三反三〇〇歩、うち除田二町二反六〇歩・定田二五町一反二四〇歩、所当米三八石七斗九升二合、一斗代の田がいちばん多くて一二町三反二四〇歩あり、地頭得分は地頭給二反と所当米のうち地頭分一五石五斗六升七合であった。
和木村
わきむら
玖珂郡の東端、安芸国との国境に位置する。北は
天正一六年(一五八八)の周防大滝村田畠帳に「周防大たけ」「周防大滝」とあるのがこの付近のことである。しかし「閥閲録」所収の脇八郎右衛門文書に「私家之儀は(中略)周防之国安芸境脇村と申所に居住仕、在名を以称号脇に罷成候」とあり、同文書中には明応五年(一四九六)および大永七年(一五二七)大内義興の脇三郎五郎宛文書以下、天文(一五三二―五五)頃の古文書数通がある。もしこの脇家の伝承を信じるならば、和木の初名は脇で、中世にさかのぼることになる。しかし、村名の由来について「享保増補村記」は「脇村旧名大滝村トイヘリ、其後脇村ト改ム、改号ノ年月未ダ考ズ、又、和木村共書リ、和木ハ脇ノ万葉書ナルベシ」といい、周防大滝村田畠帳に「大たけ」「大滝」とあることとも符合する。
和木村
わきむら
和木村
わきむら
- 島根県:江津市
- 和木村
那賀郡北部に位置し、東は
和木村
わきむら
和木村
わぎむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報