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岩国藩 いわくにはん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

岩国藩
いわくにはん

明治初期,周防国 (山口県) 玖珂郡岩国地方を領有した外様の藩。関ヶ原の戦い吉川広家 (きっかわひろいえ) が出雲 (鳥取県) 富田 (とだ) 12万石より転じて3万石を領して以来,外様大名毛利家家老として立藩せず,明治1 (1868) 年初めて藩名を称し6万石を領した。

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

いわくにはん【岩国藩】

江戸時代周防(すおう)国玖珂(くが)郡岩国(現、山口県岩国市)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。藩校は養老館。1600年(慶長(けいちょう)5)、吉川元春(きっかわもとはる)の3男広家(ひろいえ)が毛利輝元(てるもと)から3万石を与えられて岩国領の初代当主となった。吉川氏は毛利氏の一門で、元春は毛利元就(もとなり)の2男。広家は岩国城を築城したが、15年(元和(げんな)1)幕府が発した一国一城令により廃城。2代広正(ひろまさ)は紙の専売化を進め、3代広嘉(ひろよし)は錦帯橋(きんたいきょう)を完成させた。吉川氏による統治は始祖の広家から13代続いたが、幕府公認の藩ではなく、慶応年間まで本藩である長州藩から冷遇された。その理由として、広家が関ヶ原の戦で東軍方に呼応したためなど諸説ある。1863年(文久3)に本藩との和解が成立、68年(明治1)に明治新政府により正式に岩国藩として認められた。71年の廃藩置県により岩国県を経て山口県に編入された。◇吉川(きっかわ)藩ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

いわくにはん【岩国藩】

周防国(山口県)岩国を中心に玖珂郡の南半を占める地域で,長州萩本藩毛利氏の別家吉川(きつかわ)氏の領有地。幕府は吉川氏を藩に列しなかったが,藩に近い待遇を与え,江戸に邸地を認め,継嗣のあと1回の登城・謁見を許した。萩本藩でも他の支藩とは同格でなかった。そのため一般的には岩国領という。正式に岩国藩となったのは1868年(明治1)からである。始祖吉川広家(元春三男)から第13代経健(経幹次男)にいたる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

岩国藩
いわくにはん

江戸時代、周防(すおう)国(山口県)の東部を領有した藩。藩主吉川(きっかわ)氏は、長州藩毛利(もうり)氏の一門。ただし、幕府の公認した藩ではなく、江戸では藩に準じた格で取り扱われた。藩でないため参勤交代は認められなかったが、江戸に邸宅をもち、将軍への四季の献上物、当主継嗣(けいし)時には登城謁見が許された。本藩(長州藩)内では内実には自治を許して支藩と同格に取り扱ったが、幕府に対しては家来と称し、藩ではないので岩国領と称した。このように、実際は藩でありながら形式的には藩として認められなかった原因は、始祖吉川広家(ひろいえ)(毛利元就(もとなり)の次男吉川元春(もとはる)の第3子)が関ヶ原の戦いのとき東軍に呼応したことによる。広家は1600年(慶長5)毛利輝元(てるもと)から玖珂(くが)郡南半に3万石(寛永(かんえい)検地高6万石)を与えられ、岩国横山に築いた岩国城に拠(よ)った。のち1615年(元和1)幕府の発した一国一城令により、城を破却して山麓(さんろく)の館邸に移った。広家のあとは、広正(ひろまさ)、広嘉(ひろよし)、広範(ひろのり)、広逵(ひろみち)、経永(つねなが)、経倫(つねとも)、経忠(つねただ)、経賢(つねかた)、経礼(つねひろ)、経章(つねあき)、経幹(つねまさ)、経健(つねたけ)と続いた。領内の瀬戸内海に面した海岸部は米作地、山間部は紙生産地(岩国半紙)であった。藩府は元禄(げんろく)期(1688~1704)岩国川河口の干拓事業を行った。1717年(享保2)海岸部の農民が年貢減免を要求し、藩を揺るがす大百姓一揆(いっき)となった。1847年(弘化4)藩校養老館を岩国に開設、1856年(安政3)には藩創設以来不和であった本藩と和解し、ともに幕末期の難局に対処することになった。1868年(明治1)朝廷から藩として認可。1871年7月廃藩置県により岩国県となり、11月山口県に併合された。[広田暢久]

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