和田博雄(読み)わだひろお

改訂新版 世界大百科事典 「和田博雄」の意味・わかりやすい解説

和田博雄 (わだひろお)
生没年:1903-67(明治36-昭和42)

政治家埼玉県に生まれる。1925年東京帝国大学法学部を卒業し,農林省に入る。41年企画院事件で検挙されたが,第2次大戦後無罪となり,農政局長となる。46年吉田茂内閣の農相,47年参議院議員となり,片山哲内閣国務相,経済安定本部長官,物価庁長官に就任。48年社会党に入党し,分裂時には左派書記長となる。52年衆議院選に岡山1区で当選(以後6回連続)し,57年政策審議会長,64年副委員長などの党要職を務め,66年政界を引退した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「和田博雄」の意味・わかりやすい解説

和田博雄
わだひろお

[生]1903.2.17. 埼玉
[没]1967.3.4. 東京
政治家。東京大学を卒業。農林省に入る。 1941年企画院事件に連座したが,45年無罪。同年松村謙三農相のもとで農政局長として農地改革推進。 46年農相,47年参議院議員に当選。片山内閣の経済安定本部長官となり,戦後再建の緊急経済政策を立案した。 48年日本社会党に入党。左派に属し,政審会長,国際局長などを歴任。 64年副委員長となったが,66年引退。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「和田博雄」の解説

和田博雄 わだ-ひろお

1903-1967 昭和時代官僚,政治家。
明治36年2月17日生まれ。大正15年農林省にはいる。昭和16年企画院事件で検挙され休職。戦後農政局長として復職し,21年第1次吉田内閣の農相。22年参議院議員に当選,片山内閣の国務相,経済安定本部長官。27年衆議院議員(当選6回)。左派社会党に属し書記長などをつとめた。昭和42年3月4日死去。64歳。埼玉県出身。東京帝大卒。号は白遊子。句集に「冬夜の駅」。

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世界大百科事典(旧版)内の和田博雄の言及

【企画院事件】より

…このため近衛内閣は企画院原案から資本と経営の分離を削除し,財界案に妥協した要綱を同年12月,閣議決定した。〈赤〉攻撃は12月に内相に就任した平沼騏一郎(きいちろう)によっても強まり,41年1~4月に企画院原案作成に関与した和田博雄,正木千冬,勝間田清一,佐多忠隆,稲葉修三ら17名が治安維持法違反容疑で検挙,数名が起訴された。治安当局は被疑者に自白を強要し,和田らを〈コミンテルンと日本共産党の方針を支持した〉共産主義者だとして事件を捏造(ねつぞう)した。…

※「和田博雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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