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企画院事件 きかくいんじけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

企画院事件
きかくいんじけん

1941年4月,企画院内の革新官僚グループが治安維持法違反の容疑で検挙された事件。企画院は星野直樹総裁のもとで,高度国防国家体制を目指して「経済新体制確立要綱」を立案した。しかし,この要綱が思想的に共産主義的色彩の濃いものであるという疑いをかけられ,同月8日,原案作成にあたった元調査官和田博雄が逮捕され,続いて勝間田清一佐多忠隆稲葉秀三,和田耕作ら 17名が,共産主義者と関係があるとして検挙された。第2次世界大戦後の 45年9月全員無罪となった。

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デジタル大辞泉の解説

きかくいん‐じけん〔キクワクヰン‐〕【企画院事件】

昭和16年(1941)企画院の調査官、和田博雄・勝間田清一ら革新官僚17人が、治安維持法違反で検挙された事件。第二次大戦後、無罪とされた。

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百科事典マイペディアの解説

企画院事件【きかくいんじけん】

1940年企画院は強力な戦時統制経済の確立を目指して〈経済新体制確立要綱〉を発表したが,私企業への官僚制強化に財界反発,企画院原案から〈資本と経営の分離条項を削除させた。

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世界大百科事典 第2版の解説

きかくいんじけん【企画院事件】

1941年企画院の調査官,職員17名が治安維持法違反容疑で検挙された事件。1940年11月,企画院はより強力な戦時統制経済の確立をめざして〈経済新体制確立要綱〉を発表したが,これは〈高度国防国家建設〉〈公益優先〉を大義名分として,資本と経営の分離,利潤配当制限,統制団体役員の政府による任命制など私企業への官僚統制の強化を意図していた。これに対し自主統制を強調する財界は,この案を〈赤化〉思想の産物として攻撃し,第2次近衛文麿内閣の小林一三商相も閣内で強く企画院原案に反対した。

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大辞林 第三版の解説

きかくいんじけん【企画院事件】

1941年(昭和16)4月、企画院調査官和田博雄・稲葉修三・勝間田清一ら一七人が治安維持法違反で検挙された事件。戦時統制経済化に対する財界の反発を示すもので、45年9月、無罪とされた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

企画院事件
きかくいんじけん

1941年(昭和16)1月に、企画院調査官正木千冬(まさきちふゆ)、佐多忠隆(さたただたか)、稲葉秀三(いなばひでぞう)、4月に元調査官和田博雄(ひろお)、勝間田清一(かつまたせいいち)らが治安維持法違反で次々に検挙、起訴された事件。この事件の背後には、前年の経済新体制をめぐる企画院と財界などの激しい抗争があった。
 1940年(昭和15)12月内相に就任した平沼騏一郎(きいちろう)は、企画院の「経済新体制確立要綱」がマルクス主義の社会観によるものであるとして、調査局、企画庁時代からの和田、勝間田を中心とする交友グループ17名を検挙した。そのなかには、経済新体制立案の中心グループであるいわゆる革新官僚は含まれておらず、企画院内の「左派」グループを一網打尽にしたものである。45年(昭和20)9月の第一審判決で、全員無罪(うち1人は別件で有罪)となった。[芳井研一]

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