和賀江嶋(読み)わかえじま

日本歴史地名大系 「和賀江嶋」の解説

和賀江嶋
わかえじま

[現在地名]鎌倉市材木座六丁目

前浜まえはまの東南隅にあたる和賀江の海中飯島いいじま岬の突端の先に港湾施設としてつくられた築島で、「和賀江の築島」(東関紀行)ともいう。貞永元年(一二三二)七月、勧進聖人の往阿弥陀仏が、前浜に着岸する船の安全や便利のために発意して幕府着工の許可を求め、執権北条泰時が強力に援助して築かれた。「吾妻鏡」によると七月一五日に着工して八月九日には竣工しており、泰時の有力家臣尾藤景綱・平盛綱・諏訪兵衛尉らが巡検しているから、事実上は北条氏の力によってつくられたといえよう。建長六年(一二五四)四月二九日には、問注所・政所の両執事宛に唐船は五艘以上は置くべきでないと定められており(吾妻鏡)、唐船が入港していた可能性も考えられる。現存する鎌倉時代唯一の築港跡として国史跡に指定。

現在、大潮の干潮時には累々たる大石の石積みが水面上に姿を現し、その長さは飯島岬の突端から西方に長さ約二〇〇メートルほどに及ぶ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「和賀江嶋」の解説

わかえのしま【和賀江嶋】


神奈川県鎌倉市材木座、逗子市小平の由比ヶ浜東端にある現存最古の港湾施設。玉石を積んだ埠頭(ふとう)が海中に突き出ており、1232年(貞永1)、筑前国で築島の経験がある勧進上人の往阿弥陀仏が幕府に築島を願い出ると、執権北条泰時が許可を与え、およそ25日で石積みの築堤が完成したといわれている。鎌倉幕府の経済・交通に重要な役割を果たしたことなどから、1968年(昭和43)に国の史跡に指定され、2006年(平成18)に追加指定が行われた。鎌倉時代後期には幕府の許可を受けて極楽寺が維持管理を行っており、以後近年まで多くの船に発着の便を与え続けた。現在では満潮時にはほぼ全域が海面下に隠れてしまう。付近の陸地は材木座にあたり、すぐ南側には逗子マリーナがある。JR横須賀線ほか鎌倉駅から湘南京急バス「飯島」下車、徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

デジタル大辞泉プラス 「和賀江嶋」の解説

和賀江嶋(わかえじま)

神奈川県鎌倉市、材木海岸西端沖にある人工島もとは鎌倉時代に作られた港。現在は、満潮時にはほぼ水没してしまうが、中世のものとしては唯一現存する港湾施設として、国の史跡に指定されている。

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