唐櫃村
からとむら
[現在地名]北区有野町唐櫃・東大池一―三丁目・唐櫃台一―四丁目・唐櫃六甲台
六甲山地北斜面から、その北麓を東流する有野川の段丘にかけた地を占める山間の村。有馬郡に属する。兵庫から有馬温泉へ向かう道と、六甲越で灘方面へ出る道が村を通る。「三好記」によれば、天文一四年(一五四五)有馬の童子山の城に籠居した三好長政を播磨三木の別所家直が攻めた時、家直方の三宅肥前守は「有馬山ノ後ナル上唐櫃・下唐櫃ノ間ノ谷」を分け入って三好勢を攻め、敗走させたという。
慶長国絵図には「カロト村」が東西二ヵ所に並記され、高一七二石余。慶長六年(一六〇一)有馬則頼の三田入部に伴い三田藩領となり、翌年則頼が没すると子の豊氏が継いで丹波福知山藩領となる(有馬家譜)。
唐櫃村
からとむら
[現在地名]土庄町豊島唐櫃
豊島の西部海岸に位置し、小豊島と相対する。慶長一〇年(一六〇五)検地時の高四五石余(小豆島全図)。土庄郷の枝村。延宝七年(一六七九)の検地では高三一三石余・反別五〇町余(田一五町余・畑三五町余)となり(土庄村誌)、同五年の学鰹網九・烏賊網一三(「網廻船運上積帳」足守木下家文書)。なお同七年頃、鯛網の網代請銀として六〇〇匁を土庄郷庄屋笠井氏に納めていた(「小豆島漁場関係文書」笠井文書)。
唐櫃村
からとむら
明豆村の南西、宮川の右岸にある。南東部から宮川へ注ぐ小河川があり、唐櫃谷という。中世後期には北畠氏の勢力下にあり、「五鈴遺響」は、唐櫃砦跡について天正四年(一五七六)「北畠家ノ被官唐櫃某住セリ」と記している。文禄検地帳(徳川林政史蔵)に「唐櫃村」と記される。明治二年(一八六九)大指出帳(同蔵)によれば家数二六、人数一四一。
唐櫃村
からひつむら
[現在地名]香々地町香々地
香々地村の南方に位置する。正保郷帳に村名がみえ、香々地庄に属し、田高一五二石余・畑高九六石余で、茅山有、日損所と注記され、新田があった。元禄郷帳では高二八二石余。享保二年(一七一七)の延岡藩領知目録写(牧野家文書)に村名がみえ、延享四年(一七四七)の同藩領郷村高帳(内藤家文書)では高二六三石余、新田一九石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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