唐津城(読み)カラツジョウ

デジタル大辞泉 「唐津城」の意味・読み・例文・類語

からつ‐じょう〔‐ジヤウ〕【唐津城】

唐津市にあった城。寺沢広高が慶長7年(1602)から同13年にかけて築城天守閣は建造されなかったようで、現存の天守閣は戦後のもの。舞鶴城

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精選版 日本国語大辞典 「唐津城」の意味・読み・例文・類語

からつ‐じょう‥ジャウ【唐津城】

  1. 佐賀県唐津市にあった平山城。慶長七年(一六〇二)寺沢広高が築城。同一三年完成。のち大久保氏、松平氏などを経て小笠原氏六万石の居城石垣などが残存。昭和四一年(一九六六)天守閣建造。舞鶴城。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「唐津城」の意味・わかりやすい解説

唐津城
からつじょう

江戸期の城。平山城(ひらやまじろ)。佐賀県唐津市東城内にあり、別称を舞鶴(まいづる)城という。唐津藩主の寺沢広高(ひろたか)が築いた城で、築城時期については1602~08年(慶長7~13)説と1608~12年(慶長13~17)説とがあり、名護屋(なごや)城の後詰(ごづめ)として築いたか、名護屋城廃城後その資材を用いて築いたか意見が分かれる。寺沢氏は2代堅高(かたたか)のとき断絶し、そのあと大久保、松平(大給(おぎゅう))、土井水野、小笠原(おがさわら)氏が入った。往時天守閣があったかどうか不明で、現在の天守閣は1966年(昭和41)に建てられたものである。

[小和田哲男]


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日本の城がわかる事典 「唐津城」の解説

からつじょう【唐津城】

佐賀県唐津市東城内にあった城。市街地北部の松浦川唐津湾に注ぐ河口左岸、満島山(まんとうざん)上に本丸が配され、その西側に二の丸、三の丸が配された連郭式の平山城(ひらやまじろ)である。北面は唐津湾に面するため、海城ともいわれ、萩城とともに海にそびえる石垣がみられる。築城は江戸時代初期の1602年(慶長7)で、江戸時代を通じて唐津藩の藩庁となり、廃城後、本丸は舞鶴公園となった。現在、模擬天守、櫓(やぐら)や門が建てられ、石垣・堀が復元されている。JR唐津線唐津駅から徒歩15分。◇舞鶴城(まいづるじょう)ともいう。

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事典・日本の観光資源 「唐津城」の解説

唐津城

(佐賀県唐津市)
さが天下逸品 佐賀百選」指定の観光名所。

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