改訂新版 世界大百科事典 「唾腺染色体」の意味・わかりやすい解説
唾腺染色体 (だせんせんしょくたい)
salivary gland chromosome
唾液腺染色体ともいう。双翅(そうし)目の昆虫(幼虫)の唾腺細胞の中間期の核にみられる巨大染色体。バルビアニE.G.Balbiani(1881)によって初めて報告されたが,その遺伝学的重要性を指摘したのはコストフD.Kostoff(1930)が最初である。
唾腺細胞では相同染色体が対合しているので,染色体数(n)に相当する数の唾腺染色体が観察される。この染色体はきわめて長大であり,キイロショウジョウバエではその長さは,体細胞分裂や成熟分裂の中期染色体の100~200倍に達する。図からも明らかなように,唾腺染色体には特徴的な形のバンド(横縞)が多数みられる。
唾腺染色体の巨大性とバンド構造を説明する仮説としては多系構造説がもっとも有力である。これは,染色体が分離することなく幾回も複製をくり返し,それぞれの染色体がちょうど成熟分裂第1分裂前期の太糸期染色体のように,染色小粒chromomereの明りょうな状態のときに互いに接合して唾腺染色体を形成するというものである。この説では,一つのバンドは同一の染色小粒が縦に並んだものと解される。事実,唾腺染色体の電子顕微鏡観察により,直径15~25mμの繊維が多い場合には約2000本も束になっていることがわかっている。
染色体の欠失を用いて,限られた染色体区間の致死遺伝子だけを集め,その連鎖分析を行ってみると,致死遺伝子とバンドの間にほぼ1対1の対応関係がなりたつ。しかし,1本のバンドに含まれる実際のDNA量は,かりにそれが同一遺伝子のコピーを1000個含むと考えても,なお桁違いに多い。一方,二つのバンドに挟まれた中間帯interbandにも少量のDNAが含まれており,そこにRNAポリメラーゼが局在する。これらの事実から,中間帯が一つの構造遺伝子に相当し,バンド部分は不活性な遺伝子が多数つめこまれた場所であるとする考えが有力になっている。
光学顕微鏡でみると,唾腺染色体のところどころに大きく膨潤した部分がある。これをその形にちなんでパフpuffという。発見者の名にちなんでバルビアニ環とよぶこともある。一つのパフは数個のバンドを含むが,その位置および大きさは幼虫や前蛹(ぜんよう)の発育段階によって異なる。この部分では活発なRNAの合成が行われており,その塩基組成はパフごとに違う。また,前蛹期にエクジソンを与えることにより特異的なパフを誘導できる。これらのことから,パフはある発育段階を経過するに必要な一群の遺伝子が転写を行っている部位と考えられている。
→染色体
執筆者:常脇 恒一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報