善教寺(読み)ぜんきようじ

日本歴史地名大系 「善教寺」の解説

善教寺
ぜんきようじ

[現在地名]三原市東町

ひがし町西南部にあり、浄土真宗本願寺派。竜松山と号し、本尊阿弥陀如来。もとさくら山南麓にあったが、三原城築城と城下町の整備に伴い現在地に移ったという。

寛文六年(一六六六)の三原善教寺由来書(三原市立図書館蔵)によると、天正(一五七三―九二)中頃、播州英賀あがの乱のとき、本徳ほんとく(現兵庫県姫路市)檀那が多数三原に移ったので、行円が下向して当寺を開いたという。「三原志稿」には、東国の僧行円(行栄とも)住持となり、のち祐心に譲ったが、祐心の後の順虚は柴田勝家の家臣小島若狭守の三男松千代で、本徳寺で出家して当寺を継いだとある。

善教寺
ぜんきようじ

[現在地名]鹿本町分田 古川

分田ぶんだ集落のほぼ中央にある。単立寺院。本尊は阿弥陀如来。もと浄土真宗京都仏照ぶつしよう寺末で、のち荒尾の元正あらおのがんしよう寺末となる。「一統志」に「上分田 天神三所森 観音 阿弥陀」とある「阿弥陀」が当寺である。「国誌」によると永禄四年(一五六一)了恵の開基という。同書所載の当寺鐘銘并序によると、僧了讃は本田善光が最初に彫った阿弥陀如来像を得てこれを寺宝とし、また山鹿やまがの江上祐清に鐘をつくらせている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「善教寺」の解説

善教寺

(大阪府大阪市東淀川区)
私が選んだ東淀川100選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報