喜多実(読み)キタ ミノル*

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「喜多実」の解説

喜多 実
キタ ミノル*


職業
能楽師(喜多流シテ方)

肩書
喜多流宗家(15代目),日本能楽会会長 日本芸術院会員〔昭和50年〕

生年月日
明治33年 2月23日

出生地
滋賀県 大津市

学歴
東京府立四中中退

経歴
後藤慎平の三男。兄は人間国宝後藤得三。明治38年6歳で喜多流14代宗家・喜多六平太養子となり上京。同年初舞台。大正14年以来、学生鑑賞能を開催し続けるなど、能の普及尽力。昭和14年以降は、土岐善麿と共同で新作能運動を推進。新作能の作曲・上演は「顕如」(17年)、「夢殿」(18年)、「青衣女人」(18年)、「鶴」(34年)、「復活」(38年)など10数番に及ぶ。29年のベネチア国際演劇祭、32年のパリ文化祭に能楽団団長として参加、初めて能楽を国際的に紹介した。32年より日本能楽会会員。46年喜多流15代目宗家を継承。48年東京都品川区上大崎の旧喜多能楽堂を改築し、喜多六平太記念能楽堂として再建。49〜60年日本能楽会会長。50年日本芸術院会員。能楽界の知性派、進歩派といわれる反面、芸の伝承には厳正に忠実で、その端正な風姿気迫ある芸風は多くのファンを魅了した。また多くの逸材を養成した功績は高く評価されている。著書に「演能手記」「演能前後」「演能初心」などがある。

所属団体
日本能楽会

受賞
日本芸術院賞(昭和49年度)〔昭和50年〕 勲三等瑞宝章〔昭和51年〕 芸術祭奨励賞〔昭和34年〕

没年月日
昭和61年 10月2日 (1986年)

家族
養父=喜多 六平太(14代目)(喜多流14代目宗家),長男=喜多 六平太(16代目)(長世 喜多流16代目宗家),二男=喜多 節世(能楽師),兄=後藤 夜半(俳人),後藤 得三(能楽師・人間国宝)

伝記
昭和能楽黄金期―山崎有一郎が語る名人たち 山崎 有一郎 著,三浦 裕子 聞き手(発行元 檜書店 ’06発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「喜多実」の意味・わかりやすい解説

喜多実
きたみのる
(1900―1986)

能のシテ方、15世喜多流宗家。滋賀県に生まれる。先代宗家喜多六平太(ろっぺいた)の養子となり、その薫陶を受けた。規矩(きく)正しく、気合いに満ちた意欲的な芸風。1954年(昭和29)ベネチア国際演劇祭に能の初の海外公演の団長として参加。土岐善麿(ときぜんまろ)との共同による新作能活動も、『夢殿』『青衣女人(しょうえのにょにん)』『実朝(さねとも)』『鶴(つる)』『使徒パウロ』『親鸞(しんらん)』ほか、広範囲にわたっている。1971年宗家を継ぐ。子に長世(ながよ)(1924―2016)、節世(さだよ)(1926―2003)。後藤得三(とくぞう)は実の兄。また友枝昭世(ともえだあきよ)(1940― )、香川靖嗣(1944― )、塩津哲生(1945― )ほか多数の優れた若手を養成した功績も大きい。75年日本芸術院会員となる。著書に『演能手記』『演能前後』『謡曲講座』ほか。

[増田正造]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「喜多実」の解説

喜多 実
キタ ミノル

昭和期の能楽師(喜多流シテ方) 喜多流宗家(15代目);元・日本能楽会会長。



生年
明治33(1900)年2月23日

没年
昭和61(1986)年10月2日

出生地
滋賀県大津市

学歴〔年〕
東京府立四中中退

主な受賞名〔年〕
芸術祭奨励賞〔昭和34年〕,日本芸術院賞〔昭和50年〕,勲三等瑞宝章〔昭和51年〕

経歴
明治38年6歳で喜多六平太の養子となり上京。昭和46年喜多流15代目宗家を継承。49〜60年日本能楽会会長。能楽界の知性派、進歩派といわれ、若い頃から「学生能」運動を起こしたり、土岐善麿と組んで新作能を発表。またベニスやパリの国際演劇祭に招かれ、初めて能楽を国際的に紹介した。50年芸術院会員。著書に「演能前後」「演能初心」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「喜多実」の意味・わかりやすい解説

喜多実【きたみのる】

能楽師。シテ方。喜多流15世宗家。喜多六平太の養子。意欲的な芸風。学生層への能の普及に努め,土岐善麿と協同の新作能活動も《夢殿》《青衣女人(しょうえのにょにん)》《鶴》《使徒パウロ》など17番に及ぶ。1954年最初の渡欧上演を実行。1970年に人間国宝になった実兄の後藤得三〔1897-1991〕も喜多流シテ方。1975年芸術院会員。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「喜多実」の意味・わかりやすい解説

喜多実
きたみのる

[生]1900.3.23. 滋賀
[没]1986.10.2. 東京
能楽シテ方。喜多流後藤慎平の3男として生れる。 1905年喜多流 14世宗家喜多六平太の養子となり,翌 06年仕舞『西王母』で初舞台。 25年より学生鑑賞能を始め,39年には土岐善麿と新作能『夢殿』を発表,以来新作は十数曲に及ぶ。 57年,第2次世界大戦後初の能楽海外公演としてベネチア国際芸術祭に能楽団を率いて参加。 71年喜多流 15世宗家を継ぎ,75年日本芸術院賞受賞,同年日本芸術院会員となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「喜多実」の解説

喜多実 きた-みのる

1900-1986 昭和時代の能楽師シテ方。
明治33年2月23日生まれ。後藤得三の弟。喜多流。14代喜多六平太の養子。土岐善麿(とき-ぜんまろ)とくんで「夢殿」「鶴」などの新作能を発表。昭和29年ベネチア国際演劇祭ではじめての海外公演をおこなった。32年人間国宝。46年宗家15代をつぐ。50年芸術院賞。芸術院会員。昭和61年10月2日死去。86歳。滋賀県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「喜多実」の解説

喜多 実 (きた みのる)

生年月日:1900年2月23日
昭和時代の能楽師シテ方。喜多流15代目家元;日本能楽会会長
1986年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の喜多実の言及

【喜多流】より

… 明治初期の家元にその人を得なかったため,伝来の面・装束を失ったことは惜しまれるが,14世六平太能心が幼くして家元を継承,浅野,井伊,藤堂,山内など旧藩主の後援と,紀喜和(旧津軽藩),松田亀太郎(旧水戸藩),梅津只円(旧福岡藩)らの助力によって流勢を盛り立て,また変幻自在のわざの切れは近代の名手とたたえられた。現在の家元は15世喜多実(みのる)(六平太の養子),ほかに重要無形文化財保持者各個指定(人間国宝)の後藤得三(実の兄),友枝喜久夫,粟谷新太郎,喜多長世(実の子)らが流儀を支えている。1983年現在,公認の玄人数は全国で約50名,五流中最も少ない。…

【喜多六平太】より

…1947年芸術院会員,53年文化勲章受章,55年重要無形文化財保持者各個指定(人間国宝)に認定。後継者に逸材が多く,養嗣子15世宗家喜多実(1900‐86),その実兄で人間国宝の後藤得三(1897‐1991),友枝喜久夫(1908‐96)らがいる。著書に《六平太芸談》がある。…

※「喜多実」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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