デジタル大辞泉
「喜多六平太」の意味・読み・例文・類語
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きた‐ろっぺいた【喜多六平太】
- 能楽師。シテ方。喜多流宗家一四世。幼名、千代造。号、能心。東京出身。はなやかで闊達(かったつ)自在な芸風で、衰えた能界を復興。著書に「六平太芸談」がある。明治七~昭和四六年(一八七四‐一九七一)
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喜多 六平太(14代目)
キタ ロッペイタ
- 職業
- 能楽師(喜多流シテ方)
- 肩書
- 喜多流宗家(14代目) 日本芸術院会員〔昭和22年〕,重要無形文化財保持者(能シテ方)〔昭和30年〕
- 本名
- 喜多 六平太能心(キタ ロッペイタノウシン)
- 旧名・旧姓
- 宇都野
- 別名
- 初名=千代造
- 生年月日
- 明治7年 7月7日
- 出生地
- 東京府(東京都)
- 経歴
- 旧幕臣・宇都野鶴五郎の二男に生まれる。母・まつは喜多流12代宗家能静の三女。明治12年喜多家宗家の養子となる。15年「鞍馬天狗」の子方で初舞台を踏み、17年喜多流14代宗家を継承、27年14代六平太を襲名。大正4年大正天皇即位祝賀能で「羽衣」をつとめた。12年関東大震災で東京・飯田町の喜多舞台、装束、伝書などを失う。のち四谷に舞台再建。18年能楽協会設立委員長を務める。20年戦火で四谷舞台を失う。戦後、22年日本芸術院会員、28年文化勲章受章、30年人間国宝に認定される。同年喜多能楽堂が完成する。33年より日本能楽会会員。38年引退。力強い謡と型による絢爛として変幻自在の演技、曲ごとの内容把握を示す理知的な芸風で知られた。代表的な舞台に「清経」「鷺」「景清」「鉄輪」など。著書に「六平太芸談」がある。
- 受賞
- 文化功労者〔昭和28年〕 文化勲章〔昭和28年〕 東京都名誉都民〔昭和40年〕
- 没年月日
- 昭和46年 1月11日 (1971年)
- 家族
- 祖父=喜多 六平太(喜多流12代目宗家 能静),養子=喜多 実(喜多流15代目宗家),孫=喜多 六平太(16代目)(喜多流16代目宗家),喜多 節世(能楽師)
- 伝記
- 昭和能楽黄金期―山崎有一郎が語る名人たち忘れ得ぬ人々 山崎 有一郎 著,三浦 裕子 聞き手亀谷 了 著(発行元 檜書店近代文芸社 ’06’87発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
喜多六平太
きたろっぺいた
(1874―1971)
能のシテ方、喜多流14世宗家。母は12世喜多能静(のうせい)の三女。旧幕臣宇都野鶴五郎の二男として東京に生まれる。幼名千代造。1881年(明治14)7歳で喜多宗家を継ぎ、のち六平太を名のる。号は能心。流儀再興に辛苦し、芸術面でも一貫した指導者に恵まれなかったが、独自の芸風を打ち立てた。とりわけ、気迫の強さ、鮮烈な技(わざ)、表現の自在など、追随を許さぬ名人であり、能界最長老として後進の指導にあたった。1947年(昭和22)日本芸術員会員。53年文化勲章受章。55年重要無形文化財保持者に認定。73年に再建された喜多能楽堂は、彼の名をとって14世喜多六平太記念能楽堂と命名された。養子に15世宗家喜多実(みのる)がいる。なお六平太は流祖喜多七大夫(しちたゆう)の幼名で、12世能静もこれを称し、現在喜多長世も16世六平太を名のる。
[増田正造]
『喜多六平太著『六平太芸談』(1965・同文舘出版)』
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喜多六平太 (きたろっぺいた)
生没年:1874-1971(明治7-昭和46)
能楽師,シテ方喜多流14世宗家。東京生れ。幼名,千代造。父宇都野鶴五郎は幕臣,母まつは12世宗家喜多六平太能静の三女。1879年喜多家に入籍,84年宗家継承,94年六平太を襲名した。実名は六平太能心。幼時は喜多流が極度に衰微した時期で,師匠運に恵まれず,分家や多くの弟子家に師事して苦心のすえ独創的な芸を確立,流儀を隆盛に導いた。力強い謡と型による絢爛(けんらん)として変幻自在の演技,曲ごとに内容把握を示す理知的な芸風で知られた。1963年以後は舞台を引退したが,最後まで後進へのきびしい指導と助言を行った。1947年芸術院会員,53年文化勲章受章,55年重要無形文化財保持者各個指定(人間国宝)に認定。後継者に逸材が多く,養嗣子15世宗家喜多実(1900-86),その実兄で人間国宝の後藤得三(1897-1991),友枝喜久夫(1908-96)らがいる。著書に《六平太芸談》がある。
→喜多流
執筆者:羽田 昶
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喜多 六平太(14代目)
キタ ロッペイタ
明治〜昭和期の能楽師(喜多流シテ方) 喜多流宗家(14代目)。
- 生年
- 明治7年7月7日(1874年)
- 没年
- 昭和46(1971)年1月11日
- 出生地
- 東京
- 旧姓(旧名)
- 宇都野
- 別名
- 初名=千代造,号=能心
- 主な受賞名〔年〕
- 文化功労者〔昭和28年〕,文化勲章〔昭和28年〕,東京都名誉都民〔昭和40年〕
- 経歴
- 明治12年喜多家を相続、15年「鞍馬天狗」の子方で初舞台を踏み、17年喜多流14代宗家を継承、27年14代六平太を襲名。大正4年大正天皇即位祝賀能で「羽衣」を務めた。昭和33年日本能楽会会員。戦後、文化勲章を受章、人間国宝にも選ばれた。38年引退。著書に「六平太芸談」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
喜多六平太【きたろっぺいた】
能楽師。シテ方。喜多流14世宗家。喜多流再興に苦心があり,芸術上も指導者に恵まれなかったが,独自の芸風をうちたて,気迫の激しさ,表現の変幻自在において比類ない名人。養嗣子喜多実,後藤得三,友枝喜久夫らの逸材を育てた。1947年芸術院会員,1953年文化勲章,1955年人間国宝。
→関連項目野口兼資
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喜多六平太(14世)
きたろっぺいた[じゅうよんせい]
[生]1874.7.7. 東京
[没]1971.1.11. 東京
能楽師。シテ方。喜多流 14世宗家。幼名千代造。幕臣の宇都野鶴五郎を父に,12世宗家喜多六平太能静の三女を母とし,1880年喜多家の養子となり,翌 1881年宗家を継いだ。 1894年 14世六平太を襲名。号は能心。闊達自在の芸風の持主で,若いときから名人といわれ,流儀の再興に努めた。 1946年日本芸術院会員に就任。 1953年文化勲章を受章し,文化功労者にも選ばれた。 1955年重要無形文化財保持者 (人間国宝) に認定。著書に『六平太芸談』がある。
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喜多 六平太 (きた ろっぺいた)
生年月日:1874年7月7日
明治時代-昭和時代の能楽師。喜多流シテ方;喜多流14世家元
1971年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報